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【田名部神社】青森県むつ市

神社の概要

神社名 : 下北半島總鎮守 田名部神社
住所  : 青森県むつ市田名部町1-1
御朱印 : 御朱印有り
創立年 : 不明。康永4年(1341)の鰐口が残されている

御由緒・歴史

 寛永12年(1635)に、当大明神は二荒山より万民守護のため宇曽利山に御飛来、大平村荒川一本松に鎮座された。そして二十二代先別当小笠原丹後霊夢により田名部村に動座する。神領百石を有し海辺總鎮守・北軍總鎮守。
田名部大明神と崇敬され、柳町の高台に鎮座していたが、元和2年に社殿記録などを焼失し明神町に動座している。
 下北半島は平安・鎌倉時代~明治11年明治政府により郡制が施行された。
奥州南部北軍が上北・下北の二郡に分離されるまで、田名部とか田名部通と呼ばれていた。
 天下は大いに乱れ、北部が南部氏に統治されるまで、小笠原・蠣崎・菊池・工藤・安宅・新谷・広瀬の豪族が居た。
根城南部氏の統治により蠣崎氏は松前に移り、工藤氏は根城南部氏の籍に入り、安宅・広瀬氏は藩命により三戸の切谷村に転じ、小笠原氏は民に帰し現在に建った。
小笠原氏には、宮内・宮田・坂本・菊池・葦谷・赤星等の一族郎党がいた。
 宮田勝盛は小笠原磐美の祖で、射術の達人で、南部二十九世重信公、八戸南部氏祖直房公の御弓の御師範であった。
                            (※参拝のしおり参考)

御祭神

味粗高彦根命(あじしきたかひこねのみこと)
誉田別命
宇曽利山大山祇大神
管下神社大神

年中祭

1月1日        歳旦祭
2月1日        厄祓
6月30日        大祓
8月18日・20日    例大祭
10月15日・11月15日 七五三詣
12月30日       大祓

江戸時代の祭典について

例大祭
 往く夏を 惜しんで燃える 五車の別れ

 
 田名部神社は田名部通りにあった百々の村の總鎮守だった。
田名部通りには、本村三十四か所村支村六十六か所の村々があった。
田名部町を中心に関根から北を北通り大平から西を西通り、現在の東通村は東在と称した。
根城南部氏が統治していたが、寛永4年2月「(1627)宗家南部氏の懇望により根城氏は田名部通を宗家に譲渡し遠野に移った。
 宗家南部氏は田名部町に代官所を置き、田名部通の村々を支配した。
 当神社は歴代南部公をはじめ庶民の崇敬が篤く、大祭には南部公代表としての田名部代行官参社のもとに祭典が執行され祭典の開始と終了は流行馬で盛岡の本藩まで報告された。
 田名部通り本村三十三か村からは、それぞれの村名を記した灯篭が検討献燈され、大畑町委は延享元年(1744)、川内町は安永6年(1777)に町名を許され、検断宿老を置いたので大燈籠の献燈が許されていた。
                            (※参拝のしおり参考)

境内の施設について

【狛犬
・ 吽形型の狛犬の頭頂部には角が無いため、獅子。
・ 尾を立てた造形。

【鳥居】
・ 笠木・島木があり、反り増しがついている。最上部は笠木。島木の上に笠木。
・ 中心に額束あり。金箔押しの神額。
・ 柱頂部に台輪や、下に藁座が無い。

上記のことから明神系の春日鳥居だと推測する。

・ 手水舎

御朱印の有無

御朱印有り。
初穂料は無し。
以前は手書きだったが、現在は書置きのみ。

神社の雰囲気

 細い道を進んでいくと大きな鳥居が見えてくる。街中にあるにもかかわらず、そこだけ違う空間のように感じる。
神社の周りは如何にも飲み屋街です、と主張しているような街並みが広がっている。
 田名部神社のすぐ隣には横丁がある。
ワイが好きな地元のバンドamazarashiさんの某曲に出てくる【神社横丁】だ。まさにこの神社で毎年大きなお祭りもある。
歌詞の雰囲気と似ているから、ワイはここがその楽曲に出てくる場所だと確信している。

 今回田名部神社さんの参拝は二回目である。
一度目もバタバタしていたが、今回は一人だということもあり、ゆっくりと参拝してきた。
鳥居も大きいが、社殿も大きかった。
狛犬は結構な高さのところに鎮座されている。
阿形の狛犬は愛嬌たっぷりに少々抜けたような表情を見せてくれていた。

本来は真正面から見ることはないが、迫力よりもかわいらしいと思ってしまった。

 街中にあるが、そこだけ神聖な領域として切り取られた落ち着いた場所で、静かだった。
広い境内、大きく圧倒的な存在感を放つ社殿。
 一回目の参拝時には【重い石】と言う、持つと願いが叶うという石も境内には設置されていた。しかし昨今の情勢から撤去されたようだった。憎らしいことで…。
境内の社務所の前が駐車スペースになっている。スペースや案内板もしっかりとしており、わかりやすいと思う。
夕方近くになると、隣の横丁にも灯が宿り。明るくなってきていた。きっと神様たちがお休みになるころに、そこは少しずつ戻ってきている活気でにぎわるのだろう。

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