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聞法寺/ホッケっておいしいよね?

竜飛先に向かう途中、立派な山門が…。
寺院名を見てどこかで聞いたことがあると思ったら、筆者がお世話になっているお寺さんで聞いたような?

基本情報

寺院名  : 聞法寺
宗派   : 日蓮宗
山号   ; 宇田山
正式名称 : 宇田山聞法寺
住所   : 青森県東津軽郡外ヶ浜町平舘石崎字元宇田52

御首題  : あり
開基   : 聞法院日照(蓮華寺十六世)
開山   : 工藤日英上人
開山年  : 安永8年(1779)
その他  : ホッケの起源

歴史

安永8年に青森市蓮華寺第十六世聞法院日照上人により開基される。開山は工藤日英上人。
第二世工藤日温上人・第三世北村日廣上人・第四世工藤日輝上人・第五世工藤日温上人へと継承されていく。
天明の大飢饉で廃寺になる。
明治17年(1884)に【聞法寺】を交渉する。同年に、本堂を焼失。
その10年後の昭和32年(1957)に現在の本堂を再建。
昭和56年に水子観世音菩薩堂を建立。
昭和61年(1986)に山門を建立。
平成6年に大書院・位牌堂・庫裏を建立。
平成15年に山門の下にある、六老僧蓮華阿闍梨日持上人・船頭蠣崎甚兵衛の銅像を建立。

年中行事

・ 正月元旦  : 祈祷会
・ 水行・勤行 : 大寒より2週間。節分まで
・ 御盆    : 8月15日
・ 大祭    : 秋季彼岸会鬼子母神大祭
・ 10月    : 日蓮大聖人御会式
・ 12月    : 大黒天神・最上稲荷神・ 水神大祭
・ 唱題修行  : 毎月第2土曜日
・ 盛運祈願会 : 毎月最終日曜日

意外な接点?

・ 日持上人は源義経公の子孫と書かれている
・ 義経の供養のために旅をしていたと伝わる
・ 日持上人が北海道に渡ったという伝承から、上人自体が義経北行伝説の由来となったという説もある
・ 県内に数多く残る義経北行伝説。これはこれで…面白そう

日持上人とは?

・ 日蓮宗の開祖である日蓮上人の弟子
・ 鎌倉時代中期から後期にかけて存在した日蓮宗の僧
・ 日蓮宗における六老僧の一人
・ 元々は駿河の天台宗寺院院四十九院の住僧だったが、日興(六老僧の一人)に教化され日蓮の弟子となる
・ 日興に師事していたが、後に追放されている。その後日蓮に師事した
・ 日蓮没後は日興と不仲になる
・ 別称として甲斐公、蓮華阿闍梨と
・ 弘安5年(1282)に日蓮により六老僧の一人に指定される
・ 後年駿河を離れている
・ 日蓮の七年忌である正応元年(1288)に、日蓮の肖像を造立
・ 同じく六老僧の一人である日浄とともに、武蔵池上に願主として安置している
・ 青森市にある蓮華寺の開基

・ ホッケの由来となった伝説がある

ホッケの由来?

・ 魚辺に「花」で𩸽
・ 東北・箱館・樺太には、日持にまつわる伝説が多く残る
・ 日持が北海道へと渡海しようとした際に、見たこともないような魚が大量に獲れた
・ 日持は日蓮宗…所謂『法華経のお坊さん』
・ 【法華の坊さん】が来た、ということから、大漁だった魚のことを【ホッケ】と呼ぶようになったとか

【境内銅像の説明より抜粋】
蓮華阿闍梨日持上人は、永仁2年(1294)の秋に日蓮大聖人の第13回忌法要を池上本門寺で行う。翌年永仁3年御歳46歳に、故郷の静岡県松野の里から正月元旦に、北へと海外伝道の旅に立たれた。
黒石市法嶺院・同じく法峠寺・青森市の蓮華寺・外ヶ浜の石崎(当寺)の4か所と、北海道・中国大陸の万里の長城に近い宣化府に日持の遺跡・遺構が見つかっている。
今から約700年余り前に法華経を広めた偉大なる上人。
津軽半島外ヶ浜石崎にたどり着いた日持上人は、蝦夷地へと舟で渡すために海上安全を願い、元宇田の守護神である三十番神堂に上り祈願を始める。その頂上に記念の松を植えた。石崎浜の蠣崎甚兵衛を案内の船頭として、永仁4年の春穏やかな日に船出をし、無事に蝦夷地にたどり着くことができた。
その時に地元の漁師たちに親切にしていただいたお礼にと、海上安全・大漁祈願のため、海上に向かって法華経読誦すると、今までに見たこともないほどの魚が浜辺に寄って来た。地元の漁師たちは大いに喜び、『法華経の偉い坊さんが授けてくれた魚』ということから【ホッケ】と命名。
蝦夷へと無事にたどり着いた日持上人はその後も布教を展開し、蝦夷地にも多くの遺跡を残していく。
永仁5年に中国の宣化市に入り翌年には、法華寺安国堂を構え、妙法唱導された。

・ ホッケになる前は、なんて呼んでたのでしょ?
・ 蝦夷地に向かうために、三厩から八幡宮に願ったところ、海が穏やかに…と言う、義経伝説と似ているような…

阿闍梨とは?

・ 京都の有名なお土産の餅は、元々阿闍梨が修行の際に被る笠からきている。形が似ているとかなんとか

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・ あじゃり
・ サンスクリット語で【弟子を導く師匠】という意味
・ インド仏教において、出家してから指導を受ける唯一の師匠を『和尚』という
・ 正式な僧侶になってからも最低5年間の指導を受ける
・ その5年間の間に和尚が死亡・不在の場合、教育の代行者のことを【阿闍梨】と呼ぶ
・ 一方で限定的な職名以外でも、古代インド社会では一般的な軽傷として【先生】と同じ意味で阿闍梨が浸透していた
・ 日本の密教における阿闍梨は、修行者に大日如来の秘法を授ける『伝法灌頂』という儀式を経て、阿闍梨となった僧侶のこと
・ 《真言宗》においては、【伝法阿闍梨と認められた時点で一人前】
・ 『伝法灌頂』の位を持った僧侶のことを【阿闍梨】と呼ぶ
・ 天台宗では阿闍梨の上に【大阿闍梨】という位が存在する
・ 仏教では位の高い僧侶
・ 弟子に教授する師匠。手本となる存在の高僧
・ 密教(真言宗を含める)では僧侶の資格を持つもの
・ 【灌頂】とは、『頭の上に神聖な水をすすぐこと』を言う。伝法灌頂は、定められた修行を経た後、密教の法を受け継ぐために行われる秘密の儀式
・ 密教における阿闍梨とは、学識高く、特が高いことに由来し【灌頂の師】とされる

日蓮宗のあれやこれ

・ 開祖は日蓮聖人
・ 比叡山などで学ぶ
・ 建長5年(1253)に、日蓮宗を興す
・ 辻説法で積極的に布教
・ 過激な論により広めたことにより、鎌倉幕府から流罪にされることもあった
・ 晩年は身延山で後進の育成・指導を行う
・ 焼香の作法が宗派によって違う。日蓮宗は焼香の階数は3回・線香の数も3本
・ 三宝に供養するという意味合いから、3回
・ 日蓮宗において戒名のことを【法号】と呼ぶ
・ 一般的に戒名は死者に付けられる名前
・ 正しくは仏の弟子となり、浄土における修行者としての名前
・ 仏になれば俗名で呼ぶことを禁じられているため、改めて新しい名前をいただく、という考えから

境内の様子

【銅像】
・ 山門の下にある
・ 海の向こうを見つめる視線の先は北海道
・ 静かな海ではなく、荒々しい津軽海峡を、700年も前に渡ったのだろう
・ 銅像にも荒々しい様子の波が刻まれている

【山門】
・ 一間一戸の門。親柱の前後に控柱が2本の合計4本ある。四本脚の門
・ 特徴から【四脚門】
・ 屋根は切妻造
・ 柱と柱を頭貫で結び、斗栱を組まれている
・ 鎌倉時代以降から格式ある寺家の正門にも使われるようになったとか
・ 貫や木鼻に植物のも尿が彫られている
・ 浜風にさらされるからか屋根は鉄板葺
・ 額には『宇田山』とあり、その横に『身延山九十代日勇』と

【参道】
・ 訪問した数日前に台風・大雨の影響で、石畳がはがれた箇所があった
・ 境内の建物には大きな影響はなかったとか
・ 駐車場はぬかるんでいたけど
・ 寺院の周りの古い家屋は半壊・倒壊していたものもあった

【手水舎】
・ 龍神様がお出迎え
・ 水は張ってはいたが、出ていなかった
・ 左右の壁には浮彫の装飾
・ 両方ともに蓮の花

【お地蔵様】
・ 水子地蔵
・ 優しい表情。慈しみの表情
・ 左手に赤子を抱き、足元にも二人の赤子がすがっている
・ お地蔵様の後方の建物は半壊していた
・ お地蔵様の建物はしっかりと守られていてよかった

【御本堂・御拝殿】
階層   : 平屋
材質   : 木造
建築様式 : 入母屋造
屋根の特徴: 妻入
屋根の材質: 鉄板葺
・ 浜風に耐えれる鉄板葺
・  白い壁のため、金の装飾が目立つが、豪華絢爛・華美な感じはしない。寧ろ控えめは雰囲気を醸し出している
・ 社殿前から海が見える良い場所
・ 海の見える駅ならぬ、海が見える寺院
・ 山門同様に植物の彫刻が見える
・ 中に御邪魔すると、天井には龍神様
・ 横浜八幡宮の天井画の龍神様同様に迫力がある
・ こちらは墨絵のような雰囲気
・ 訪問は去年だったが、今年の干支に合ってるね
・ 水のある場所には龍神様のご加護が必要なのだろう。台風もそうだが、水害も怖いから
・ 御本堂内は暗かったが、ぼんやりと浮かび上がる聖人は失礼ではあるがかっこよく見えた
・ 内部は横に広いといった感じがした。

御首題について

・ あり
・ 訪問時御上人さんが留守だったため、家人の方から頂いたため【妙法】の記入のみだった
・ これはこれでレアリティがありそう
・ 向こうに行く機会があり、御縁があったら御題目入りの御首題をいただきたい

まとめ・感想

筆者が昔からお世話になっているお寺さんに、何だったかの行事でこちらの聞法寺さんの御上人さんと、もう一人南部方面の御上人さんが来訪し説法を説いてくださった。そのころは神社や寺院がただ好きなだけであった。一度行って見よう、と思い数年後に来訪できたわけだが…。
青森市からひたすら海岸線を走っていると見えてくるのが当寺院。天気が良ければ穏やかな津軽海峡を横目に見ることができる。幸いに(珍しく)天気が良く、穏やかな海を見ながら来訪。

駐車場に入ると隣の家屋が崩壊していた。駐車場もぬかるんでいたし、寺院の裏手の小川(?)っぽいところも増水していた。
参拝時に地元の方に聞いたが、筆者が訪問した数日前は台風と大雨が直撃したとか。
御上人さん留守だけど、これも良い縁だったんだと思う。御首題は期待できなかったが、家人の方から似たようなものをいただけたのでコレはこれで良かったかもしれない。


青森市の蓮華寺とも縁のある当寺院。蓮華寺のことを調べている時にも、こちらの寺院の名前を目にしていた。数年越しの夢がかなったような気分の参拝だった。県内でもよく目にする、『義経北行伝説』のモデルの一人でもあり、ホッケの由来を持つ人物・【日持上人】。海の向こう側は難しいが、南の方の他の寺院にもいつの日か訪問してみたいと思った。
次回は縁に恵まれて、御首題をいただけたらいいなぁ、と思いながら次の目的地へと向かった。

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