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蓮正院/雪の中からコンニチワ

高増神社からほど近い場所にある寺院。
『ここまで来たし、他にないかなぁ?』の考えで知ら得た結果、こちらにお邪魔した。住宅街に溶け込むような寺院。冬場だったから余計に、山門も目立たなかったのだろう。

基本情報

寺院名  : 蓮正院
宗派   : 真言宗醍醐派
山号   ; 大峰山
正式名称 : 大峰山 蓮正院 
住所   : 青森県北津軽郡板柳町石野宮本75

御朱印  : あり
開山   : 不詳
開山年  : 寛政年間前後
御本尊  : 不動明王
その他  : 津軽七福神・弁財天
       津軽弘法大師霊場・第14番札所

歴史

縁起や記録が乏しく詳細が明らかになっていない。
最初は【法隆院】と称していた。
寛政年間前後に【蓮覚院】と改める。
文化・文政のころに【寿円山蓮正院】と改称し、弘前市内の【大行院】の支配下にあった。
由来は『明治十四年火生三昧御祈祷御寄進帳』にしるされている。
「大聖不動明王、その昔能登国石動山不動院に奉安請御本尊也。大納言前田利家郷より火災消除祈願のため、我が祖たる堂守観性法院に下し給えし御神体にして、天正二年(1572)大和国大峰山に入りて朱合祀、権大僧都の位を得、巡り巡りて当国に来りて云々」
とのこと。
一説には関ヶ原の戦いに敗れた由緒ある武士が、山伏に返送してこの地に落ちのび伝え、遺物として開祖観性法院所持の法螺貝及びに、脇差一腰が保管されている。
五能線工事の際に大戸瀬より出土した石螺を保持している。

大行院とは?

・ 現在は廃寺
・ 元々は【弘前天満宮】境内に所在していた
・ 修験道寺院
・ 津軽藩の羽黒派・大峰派修験両修験司頭を務めた
・ 正式名称は【松峰山大行院】で、別称として【長永寺】だった
・ 慶長17年(1612)に開かれる
・ 宝暦4年(1754)に現在の弘前天満宮に移転
・ 明治3年に廃寺となる。その跡地に【橋雲寺】の天満宮が遷ったとのこと
・ 明治4年に大行院が修験道を廃し、神道専一の【菅原神社】になり、相殿に【少彦名神】を祀る【若木神社】を配したととされる

・ 大行院跡地が弘前天満宮の枝垂桜が鎮座されている場所

修験道って?

・ 修行して験力を顕す道
・ 日本古来の山岳信仰がベース
・ 仏教・神祇信仰・陰陽度が習合して形成された宗教
・ 開祖として【役小角】と言われるが、特定の開祖はいない
・ 教義は中世~近世にかけて整備
・ 『修験道は仏教の一部』と言われる所以は、平安初期に密教が日本に伝来し、密教の僧侶の主導の下、密教の体系的思想と修行法が導入されたから
・ 平安期に貴族たちの間で験力・呪力による利益が期待されるようになる。これにより社会的地位が確立、隆盛を迎える
・ 鎌倉期は一般の山林修行者たちが、修験道の独自集団を形成。様々な宗教の思想を取り込み、民衆の支持も集めていき、全国各地に広がっていく
・ 江戸時代になると全国展開していたが一部を除き、真言系の当山派・天台系の本山派のいずれかの派に所属させられることになっていく
・ 明治維新を迎えると神道を含む様々な宗教が混ざり合った修験道は容認されず、明治5年には公式に廃止される
・ 祭祀などの勧誘までは配されることは出来ず、組織として【真言宗醍醐派】・【天台宗寺門派】に属することで何らかの形で存続
・ 大戦後は主教法人格を取得し、独立した宗教として復活

津軽七福神

大黒天:岩木山求聞寺 弘前市百沢字寺沢29
寿老人:行峯山覚應院 弘前市湯口字一ノ安田95-1 
毘沙門天:鷹揚山不動寺 弘前市茂森新町4-3-11 
布袋尊:赤倉山金剛寺 平川市八幡崎宮本141 
恵比寿天:愛宕山地蔵院 黒石市山形町81 
【弁財天:大峰山蓮正院 板柳町石野字宮本75】
福禄寿:西の高野山弘法寺 つがる市木造吹原屏風山1-244

・ 記事にしていないが、一応全部周れた
・ そのうち記事にしたい
・ 恵比須天の【地蔵院】さんは無人だが、布袋尊【金剛寺】さんで御朱印をいただくことができる
・ 寿老人【覚應院】さんでは七福神の御朱印の他に、【成田山弘前寺】さんの津軽弘法大師霊場の御朱印も頂ける。弘前寺さんも地蔵院さん同様に無人のため

境内の様子

【山門】
・ 質素な門構え
・ 2本の主柱の上に切妻屋根がのっていることから、門の種類は【棟門】とおもわれる
・ 一番の特徴は本柱2本のみ
・ 門の上部真ん中にあるのは…蜂の巣ですかねぇ?冬場で良かった

【弘法大師立像】
・ 【南無大師遍照金剛】と書かれた旗と提灯
・ 大雪の中佇む御姿
・ 台座も含めても、それほど像は大きく無かった
・ 帰宅時に雪道で事故に遭わないようにお願いしておく
・ 吹雪いていたが何だか力がもらえた気がする

【御社殿】
・ 平屋
・ 妻入
・ 屋根の形状から入母屋造?
・ 連続して千鳥破風がある
・ 【南無大師遍照金剛】【弁財天】のそれぞれの旗が立っている
・ 華美な装飾や凝った彫刻はない
・ 山門を入ってすぐに飛び込んでくる場所に建っている
・ 中の見学もできるが、参拝日は留守のため叶わず
・ 参道やその周りは雪かきが行き届いており歩きやすい
・ 雪道になれていない人でも参拝時は安心できる。道中は…

【狛犬】

髪・眉 : 前髪カールして眉は見えず
口・歯 : 立派な牙と四角い歯がある。唇がわかりやすく、口腔内も朱色で表現
髯   : 口周りにカールした髯がある
耳   : 雪が頭に積もっているが、耳は伏せており横に伸びている
目・鼻 : 楕円形の眼で、黒目がしっかりと描かれている。鼻は獅子鼻でよく目立つ
毛・尾 : 毛は体に張り付いている様子。尻尾はお尻の上に乗っている
手足  : 太くはなく細め。弱弱しい雰囲気はない
姿勢  : お尻を突き出した姿勢。尻尾がお尻の上にある
・ 寺院ではあるものの、御社殿の左右には狛犬が居た
・ 雪の中からも飛びかかろうとしているような姿勢
・ 横から見ると飛びかかろうとしている動き見見えるが、正面から見ると「腰が引けている」様に見える
・ 犬なのだが、真正面は間抜けな表情で、面白みのある顔つきをしている

御朱印について

・ 御在宅ならば直書き
・ 留守の場合も御社殿前に書き置きあり
・ 全部で4種類
・ 書置きをいただくこともできるが、自身で押印することもできる

まとめ・感想

まさかの弘前天満宮の御祭神である【少彦名神】が出てくるとは…縁があったのだろうか?
御朱印の参拝日からわかるように、全く知らずに参拝し、まさかの繋がりがあった。神社・寺院参拝や訪問が好きな身としては、こういったつながりも興味が湧きたちテンションが上がる(特に家などで調べている瞬間が)。

住宅街の一角に存在する。
本当に住宅街。割と本気でマップに住所打ち込んでも、ゆっくりと運転しないと見落とすくらいに(晴れている時は分からないが)分かりずらかった。

参拝時は留守だったが、書置きでの対応がされていたのでありがたくいただくことに。雨の日は躊躇するが、大雪で吹雪いていても、少し我慢すれば大丈夫。周りの狛犬たちは寒そうに見えるが、これくらいは許容範囲。
境内は広くはないが整理・整備がされている。晴れていてなおかつ雪が無ければ、もっと全容が把握できたのだろう。弁財天の他に、不動明王の石像も帰宅直前に見つけることができた。御朱印のお不動様の理由も、この石像を見つけたことで繋がりがやっとで分かったくらい。


だからこそ次は晴れていて雪が無くて、御在宅の際にお邪魔したい。そして中で参拝したい、という気持ちが…。
真言宗醍醐派関連の寺院巡りや、山伏関連の施設・寺院・神社を巡るのも面白いかも?

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