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義経寺/本州最北端の義経伝説

基本情報

寺院名  : 義経寺
宗派   : 浄土宗
山号   ; 龍馬山
正式名称 : 龍馬山義経寺
読み方  : りゅうばざんぎけいじ
住所   : 青森県東津軽郡外ヶ浜町字三厩家ノ上76番地
御朱印  : あり
開山   : 神仏分離令・廃仏毀釈令により廃寺になるおそれがあったころ、当時の住職により開山
開山年  : 明治時代初期
その他  : 津軽三十三観音霊場第19番札所
       津軽八十八ヶ所霊場第15番札所

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歴史

義経関連のことで多くの伝承や伝説が残るが、それらの真偽は不詳。
古くから三厩湊の守護神と言われていた。
義経でが観音像のご加護を受け、蝦夷地に渡った故事から、海にかかわる海運業者や漁業関係者、松前藩から崇敬庇護された。
特に航海安全、豊漁祈願が行われた。境内には数多くの船絵馬や大漁旗、船の重りに使用していた石、石鳥居などが奉納された。
天明2年(1819)には民俗学の祖とされる菅江真澄が当寺を訪れ、由緒や伝承、境内の様子を記録している。
安政2年(1855)に厩岩から現在地に境内を移した。
神仏習合のため、明治時代初頭に発令された神仏分離令により一時的に廃寺寸前にまでなる。
今別にある本覚寺は、義経と円空縁の地が無くなることを惜しみ、檀家20件を分け与えた。
本覚寺の末寺、浄土宗龍馬山義経寺として、改めて開山し現在に至っている。

義経伝説と義経寺

文治5年(1189)に源義経は藤原泰衡に急襲される以前に、平泉を脱出し蝦夷地へと落ちのびたという伝説。
藤原秀衡は義経を大将として鎌倉と対峙せよ、と子息である泰衡・国衡に遺言を残す。これとは別に秀衡は義経に、少しでも不穏な動きを感じ取ったら、蝦夷地に逃げるようにという助言もしていた。
この助言の通りに義経は蝦夷地へと逃れることにした。
義経は太平洋を北上し種里海岸に上陸し、八戸周辺に一時滞在し、津軽半島を横断する形で三厩までたどり着く。
筆者の記事(小田八幡宮・善知鳥神社・三嶋神社など)にも書いているが、義経伝説は青森県内にも伝承・伝説・遺跡が点在している。
蝦夷地に渡るために津軽半島の先端である竜飛岬から海を渡ろうとした。
しかし荒れる海・強風により足止めされる。
巨岩の上に守り本尊である観音像を安置させ三日三晩念じた。
その時に仙人が現れ3頭の龍馬が与えられ、無事に蝦夷地へとたどり着くことができたという伝説がある。
この巨岩が厩岩と言う。
観音像は寛文7年(1667)に円空和尚が、岩から神々しい光を放つ像を見つける。その晩に霊夢に観音像の化身が現れ、義経との関係を伝えられる。
この観音像が義経の守り本尊と悟る。そして自らも観音像を彫りこみ、体内に義経の守り本尊を修め草庵を結んだ。

厩石とは?

読み方  : まやいし
「義経は衣側の高館で藤原泰衡に急襲され、自身の館に火をかけて自刃した」というのが歴史の通説だが、実は生きており、その後北へ北へ逃れ蝦夷地へと向かう。これが『義経北行伝説』と呼ばれる伝説。
藤原秀衡の言葉の通りに北を目指し、この地にたどり着いた。
蝦夷地を臨むが、荒れ狂う津軽海峡が行く手を阻んでいた。そこで義経は海岸の奇岩上に座し、三日三晩自身が信仰する観世音を安置し、波風を鎮め渡海できるように祈願した。
丁度満願の時に白髪の翁が現れ『三頭の龍馬を与える。これに乗って渡ると良い』と言って消えた。
翌朝巌上を降りると岩穴には三頭の龍馬がつながれていた。
その時には海上は鏡のように鎮まっており、義経は無事に蝦夷地に渡ることができた。
それから奇岩を【厩石】と呼ばれるようになる。
そして三頭の龍馬から、この地を【三馬屋⇒三厩】と呼ぶようになる。
三厩村の語源となった。

菅江真澄

・ 宝暦4年(1754)生まれ
・ 三河国(現在の愛知県)
・ 江戸中期から後期にかけての執筆か
・ 本名は白井英二
・ 文化年間の半ばから【菅井真澄】を使用
・ 名前は他にも知之・秀超・英雄など
・ 生まれは愛知だが、定住の地は無く、各地を行脚する
・ 30歳の時に三河を発ち長野へ旅立つ。
・ それ以降は新潟・山形・秋田・青森・岩手・宮城・北海道を巡る
・ 78歳で亡くなるまでの28年間余りを秋田で過ごす

菅江真澄と義経寺

天明8年(1788)7月11日に義経寺に訪れる。当時は観音堂と呼ばれていた。御本尊である観音像の由来が記載されている。
【昔、越前国(現在の福井県)の足羽の住民の霊夢に観音菩薩の化身が立ち、『長い間この地を守ってきたが、願いが叶うならば陸奥国の三厩に行き、蝦夷地を行き交う船と裏の守護神となりたい』とのお告げを受け観音像を受け取った。
しかしなかなか機会がなく月日が流れていった。
ある日久末と名乗る人が津軽に行くことを聞き、理由を話し観音像を託す。
久末は三厩の舟問屋伊藤五郎兵衛に預けた。
伊東は日頃信仰していた宗派とは違ったため、直ぐに祀らずに仕舞っていると、円空と名乗る旅僧が三厩に訪れ伊藤家に宿泊する。観音像のことを聞くと円空が『厩岩の上に御堂を建立し観音像を祀ります』と申し出て、さっそくお堂が建てられた。
その際に観音像を調べると、源義経が戦の際に、兜に付けていたといわれている銀製の仏像で、足羽に使わせたことが文書にも記され義経の花押もあったとのこと。
円空はありがたがり、新たに観音像を彫刻士、胎内に義経縁の像を修めた。その後御簾の裏に安置され、多くの人に参拝してもらうようになった。
参拝していただいていると突如天候が乱れ暴風雨に見舞われる。それ以来観音像は秘仏となり、誰も見たことが居なくなった】
という伝承が残っている。

境内の様子

【山門・手前】
・ 門の造りは、棟門か?
・ 結構な急坂
・ 山門はシンプルな造り
・ 華美な装飾や重厚な彫刻なども見られず
・ 変にゴテゴテしていると浜風にやられるのか?
・ 階段を上がるための杖も置いてある
・ 雰囲気作りで使用してみるのもオツがありそう?
・ 見上げていた厩石を見下ろすことができる
・ 見晴らしがいい。向こうに見えるのは下北半島か?

【山門】
・ 随身門
・ 八脚門
・ 阿吽の仁王像に守られている
・ 木製なのに、腰布が風でなびいている
・ 時期によっては注連縄があるとのこと
・ 最勝院の仁王様同様に力強い存在感
・ 第三代住職だった小鹿麟導和尚の時代、大正13年に修築
・ 立派な山門だったとのこと
・ 言い伝えとして、当時76歳だった当村在住の『成田七五郎』棟梁が一人で竣工したという

【手水舎】
・ 随身門をくぐってすぐ左手側にあり
・ 水は出てないが龍神様
・ 厳格そうな龍神様ではなく、どこか愛嬌のある表情
・ 日本昔話の龍みたいな…

【正観音堂前の狛犬】
髪・眉 : 前髪がカールしており眉は見えない
口・歯 : 唇は目立つ。歯は三角でまばらに生えている。大きな牙もある
髯   : 唇下に顎髭あり
目・鼻 : 鼻は目立つ獅子鼻。瞳は眼窩が奥に入り、瞳は見えにくい
耳   : 伏せ耳
毛・尾 : 体にあまり毛が生えていないように見える。尾は立ち尾で体に張り付いている
手足  : ずんぐりとした手足。長いように見えない
姿勢  : お尻を地面につけたお座り。前足をピンと伸ばしている
・ 瞳がかなり奥に
・ 頭頂部と耳がほとんど真っ平
・ 体に比べて顔が大きい。アンバランスな造り

【正観音堂】
・ 唐破風拝飾に龍神様
・ 木鼻に獅子
・ 千鳥破風拝飾にツル?
・ 神紋は笹竜胆
・ 拝殿は質素だが、本殿は青と朱色の色が入っている
・ 拝殿よりも豪華な雰囲気を持つ
・ 笹竜胆は源頼朝の家紋
【ツル】
・ 吉祥をもたらす神仙の遣い
・ 神仏に縁のあるめでたい鳥
・ 長寿延命の象徴

【鐘楼】
・ 津軽海峡を臨める場所に建っている
・ 造りは簡素
・ 四方に彫刻が施されない質素な造り

【辯財天堂】
・ 鐘楼の隣にある
・ 建物は六角形
・ 建物隣の石碑には【龍馬山】と銘打っている
・ 御堂の内部には弁天様を本尊として祀っている
・ 弁天様の隣には宝船に乗った七福神
・ 辯財天堂の書は第六世の住職による墨書き

【金毘羅宮】
・ 正観音堂や辯財天堂に比べると、見た目は普通の一軒家
・ 狛犬などの守護者も見られず
・ 彫刻も最低限で。装飾も見られず
・ 堂内は新しい感じがする
・ 木の切株らしきものが、賽銭箱の後方に鎮座

【義経堂】
・ 新和様という建築様式を持つ建物
・ 鎌倉時代の建築様式の一派
・ 和様に大仏様や禅宗様を部分的に加味した折衷様式
・ 【南無阿弥陀仏】の銘がうたれた鐘が設置されている
・ 鐘が二つ…狛犬の代わりか?
・ 山門や鐘楼があるスペースからさらにもう一段上に建っている。目線の先には遮るものがないため、津軽海峡を一望できる

御朱印について

あり。
津軽三十三観音霊場第19番札所。
津軽八十八ヶ所霊場第15番札所。

まとめ・感想

青森県内に点在している義経伝説が残る寺院として訪問。寺院名からして義経縁の地、ということが良くわかる。
訪問して寺院の名前の由来を知ると、三厩の由来となった岩の伝承と、義経伝説が上手にリンクして興味深い場所となっている。
参詣前「大きな岩だなぁ。なんか途中に空洞もあるし」→参詣中「あの岩の上に観音様があったのか!」→参詣後「下の空洞に三頭の龍馬が居たのか…この荒れる津軽海峡が鎮まったのか」
と感想が二転三転していた。
境内は小高い丘の上にあるため、足の不自由な方が参詣する場合は、表からではなく裏の墓所などがある方から訪問するのが良いだろう。裏も坂があるが、駐車場もあり、それほど難なく参詣できる。
義経が祈願した厩岩を見下ろし、義経が渡った津軽海峡を眺めるのも一興なのかもしれない。

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