近場や穴場の神社紹介。地元の紹介。

  1. ホーム
  2. 寺院
  3. 【正法寺】我逢人と一期一会

【正法寺】我逢人と一期一会

基本情報

寺社名 : 正法寺
山号  : 大梅拈華山
正式名称: 大梅拈華山 圓通 正法寺
通称  : 奥の正法寺
宗派  : 曹洞宗
住所  : 岩手県奥州市水沢黒石町字正法寺129
御朱印 : あり 
開創  : 無底良韶禅氏
開基年 : 南北朝時代・貞和4年(1348)
御本尊 : 如意輪観世音菩薩
その他 : 重要文化財 (本堂・庫裏・惣門)
      庫裡見学料:大人500円

歴史・由来

無底禅氏は曹洞宗発展の地である、能登国(石川県)の地頭の出身。その一賊は永光寺の開基家。名家の出身。
22歳で出家し大乗寺(金沢)・永光寺で、曹洞宗発展に寄与した明峯素哲・峨紹碩に師事した。
31歳の時に新寺造営の決意をする。3年後に熊野権現の託宣に従い、欧州黒石の地へ。
その時に守林神が鹿となって表れるといった瑞兆霊夢を得る。そしてついに正法寺が開かれる。
この寺院が開かれたときに境内地を寄進し援護したのは、黒石越後守正瑞と長部近江守清長という、この地方の豪族。
当時は南北朝時代の動乱期で大勢は北朝に決していた。
北朝に転じていた為情勢は落ち着きつつあった。
曹洞宗は一代発展期をこのころ迎えていた。
『師檀和合』を説き、寺院と檀那との結びつきを大切にし、寺院を立派にすることで豪族だけでなく、農民にも浸透していった。
開創にあたり、六祖の伝衣や道元・瑩山両祖大師御霊骨など宗門の重宝が附与された。
その2年後には奥羽両国における曹洞宗等三の本寺とする旨を頂く、
このことは東北地方における曹洞宗の拠点としての意義を明らかに示すもの。

境内の建造物

【正法寺惣門】
・ 入口の門。
・ 寛政11年(1799)に寺の円城寺も焼け残る。
・ 四脚門で、寛文5年(1665)に仙台大工棟梁新田作兵衛による建築。
・ 四脚門としては岩手県最古の遺構。
・ 写真で見るよりも実際はもっと一段一段が大きく高い。
・ 時代を感じさせる立派な門。
・ 時代劇で良く見るような門構え。

【庫裡】
・ 入ってすぐに【韋駄尊天立像】が出迎える。
・ 俊足で速やかに悪魔や毒を避ける。伽藍・僧・食物の守護神。
・ 一本造りの形式。
・ 開山堂の十六羅漢像と作成人物とは同じ。
・ 色々な寺院を参詣するが、初めて出会ったと思われる。
・ 暗い空間にボンヤリと浮かび上がるように立っておられた。

・ 古民家風の空間もある。

【龍虎の間】
・ 瞑想できるらしい

【瑞鳳閣】
・ 広々としている。額の文字が味がある。

【子安地蔵菩薩尊像】
・ 建物の奥にある。色々と周ってよかった。
・ 優しそうな表情。

【各部屋へ続く廊下】
・ 各部屋へ続く廊下は、歴史を感じさせる。
・ 掃除が行き届いており、誰もいないが木のぬくもりが感じられた。
・ 建物から見る庭園(?)は所々朱く、紅葉が本番になると綺麗だと感じられた。

【開山堂】
・ お堂内には壁上部に十六羅漢像が安置されている。
・ 代々の住職の位牌を祀る。
・ 空気が張り詰めているようにも感じられた。
・ 写真上部に見えるのが開山堂。

【法堂】
・ 住職が佛祖に代わり説法する道場のこと。
・ 室内中央には御本尊をお祀りしている。
・ 正法寺の中でも一番大きな建物。
・ 御本尊は鎌倉時代後期に作成されたもので、岩手県指定文化財にされている秘佛。
・ 中に入ると菩薩様が出迎えてくださる。
・ 筆者とは違う宗派だが、それさえも許してくれるような空気を感じる。

正法寺の七不思議

① 文福茶釜
文化文政の時代に作られた。
火災に遭っても焼けることなくヒョッコリと現れる。
伝説では大火災で法堂も炎に包まれる。茶釜がどこにでも移動するため、鎖でつながれていた。繋がれいては逃げることができない。
茶釜はあまりの熱さに、蓋だけが遠くに飛んで行った。
逃げた先は群馬県の茂林寺。このお寺には【守鶴の釜】と言われている。
その後は鎖は外され、座布団の上で静かに納まっている。

② 飛龍観音図
観音様が龍に載っている様子が描かれた掛け軸型の絵画。
伝説では、この掛け軸を開くと、たちまち雨が降るという。
(筆者は休みの日に外に出ると天気が悪くなるが…)

③ 虎斑の竹
昔境内の竹林に、虎の背の毛の様に太い黒色のまだら模様のある岳が生えていた。
道元禅師が宋でトラに襲われたときに、手にしていた杖が龍と化し追い払った。その時にこのまだら模様がついたという言い伝えがある。

④ 片葉の葦
葉っぱが片方にしか生えない珍しい植物がある。
当山開祖の禅師の愛馬が亡くなる。境内に埋葬したところ、馬の鬣の様に片方だけの葉がついた葦が生えてきたということ。
現在も境内の杉林付近で見られる。

⑤ 慕弥の扇 
開祖の持ち物であったとされる。
禅師が生まれた際の経緯と悲しいものがたちが伝えられる。
昔奥州安達郡に田村藩士・亀井辰治郎と言う文武両道に優れた美男子が居た。ある日彼は村の若者と共に伊勢神宮にお参りに出掛けた。その帰り道にある扇屋によるとお鶴という娘がいた。彼女は彼に一目ぼれ。
彼女は『ほや(恋しいという意味)の扇です』と渡す。
これに嫉妬した辰治郎の友人が、『ほや』の意味を『怠け者』として辰治郎に嘘を教える。
これに激怒した辰治郎はお鶴を切り捨てて死なせてしまう。後に本当の意味と彼女の気持ちを知った彼は大きく後悔する。
その後辰治郎は自身の罪を深く反省し、お鶴の位牌と結婚することで、扇屋を継ぐことになる。毎日位牌に手を合わせていると、お鶴が幽霊となって表れるようになる。
やがて二人の間に子供が生まれる。
その子供にお鶴はお坊さんになるように頼むと姿を見せることはなくなった。その子供はその後立派なお坊さんとなり後に岩手県黒石に正法寺というお寺を開くことになった。

⑥ 八つ房の梅
境内には房が八つ以上もある珍しい梅の木がある。
当山の由来は【夢の中で全山満開の梅の花が嵐によって吹き下り、尾錠に入ったところで醒め、これは道元禅師が中国大梅山護聖寺で威徳した霊夢に同じ】と言うことで名付けられた。
一時期寿命で彼はしたが、平成21年3月に石川県のとあるお寺で八つ房の梅を譲り受けた。
現在は庫裡の前に植えられている。

⑦ 児啼きの池
子供の泣き声が聞こえてくるといわれた池。
その昔、ある母親が子供を育てられなくなり、7月15日の夜中に、境内の池に子供を捨ててしまったそうな。それから夜ごと池から子供の泣き声が聞こえるようになった。
可愛そうに思った和尚様の読経供養により、それ以来鳴き声は聞こえなくなった。今も耳を澄ますと、時々池から鳴き声が聞こえてくるという話もある。

御朱印について

あり
流れるような筆遣い。
力強さはないかもしれないが、これはこれで趣があって良いと思う。

まとめ・感想

入り口は正門から右手側の坂道を通るが良いだろう。門前の石階段を上重るのも良いが、見た目以上に一段一段が高い。そして角ばっているため登りにくい。それも醍醐味だと思い筆者は登ったが、当時お寺に居られたお寺のお坊さんに「向こうから入れますよ」と笑顔で伝えられた。
門をくぐると目の前には本堂が飛びこんでくる。
広々とした庭園とダイナミックな本堂、本堂を正面に右手には庫裡が広がっている。季節は一応秋だったが、あいにく暖かいためかあまり紅葉は見られず。しっかりとした時期であれば、綺麗な紅葉を目にできただろう。
お寺の山号の由来から察するに、一番の見ものの季節は春ではないだろうか。梅の季節にも来てみたいと思えた。
庫裡から本堂・開山堂へと続く廊下、そこにある柱などは歴史を積み重ねながらも、古めかしさは感じられず温かみを感じた。
宗派は違うが法堂でしっかりと旅の安全に感謝を伝える。
そして無事に帰宅できることをお願いした。
タイトルは御朱印を頂く際に『どちらからお出でで?』と聞かれ、『青森です』と伝えたところ、そこのお坊さんから伝えられた。
意味は【人と会うことからすべてが始まり、それは一生に一度限りの機会かもしれない。この瞬間が喜ばしいこと』と頂いた。
まずは人と会うことから始めよう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA