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【櫛引八幡宮】どこで見たんだろうなぁ…八幡馬の唄の石碑

基本情報

神社名  : 櫛引八幡宮
正式名称 : 南部總鎮守一之宮・櫛引八幡宮
住所   : 青森県八戸市大字八幡字八幡丁3
御朱印  : あり。御朱印帳もあり
創建年  : 貞応元年(1222)社殿造営し遷宮鎮座
創建者  : 南部家初代・南部光行
国宝   : 赤糸縅鎧・白糸縅褄取鎧
その他  : 八幡馬発祥(日本三大駒の郷土玩具)

縁起・歴史

平泉合戦で戦功を立てた光行公は、源頼朝から糠部郡を拝領する。
光行の父親である信濃守遠光公が甲斐国南部郷に祀っていた八幡大明神を勧請し、六戸の瀧ノ沢村に仮宮を築かせ、さらに霊地を求めさせた。
神託により四戸の櫛引村を社地に定めさせ遷座させた。
これにより櫛引八幡宮とし、南部両総鎮守として尊崇されることになった。
建武の新政(1334)により、南部家十代目茂時公は北条氏に殉ずる。これにより家運が傾いた。
同属の南部師行公が後醍醐天皇の皇子に供奉し、陸奥守兼鎮守府将軍・北畠顕家の国代として赴任する。
八戸根城を築く。北欧全体を支配し活躍する。流鏑馬の神事を始めた。
精力を回復した南部守行公が奉納したと伝わる応永11年(1404)の在銘が入った、左文字の鰐口が現存する。
秋田戦争に戦勝祈願して出陣した根城南部十代光経公が応永18年(1411)にめでたく凱旋する。その父親である南部信光公が後村上天皇から拝領した卯ノ花縅鎧(現国宝・白糸縅褄取鎧)を乗馬と共に奉納。
現在の社殿は、正保2年(1645)二十八代重直公が造営し、慶安元年(1648)に完成したもの。
その後も延享2年(1745)に大修理など、数次にわたる修理も藩の手で行われる。
例大祭には盛岡から藩主の名代が代参し、藩主より一般参列者まで広く崇敬を集めた。
国宝・赤糸縅鎧は奈良・春日大社の赤糸縅鎧と【東西の双璧】と並び称される。

御祭神

主祭神】【本殿】
八幡大神(譽田別尊)

御神徳

【八幡大神】
文化興隆、商工・農牧・漁猟・交通・土木等あらゆる殖産興業
武運勝負、安産守護

境内の施設

【鳥居】
・ 神社の神域への入り口。
笠木 : あり・反り増しあり
島木 : あり・反り増しあり
木鼻 : あり
額束 : あり
柱  : 下部に藁座あり
その他: 柱の上部に台輪が付く
明神系鳥居からの発展した鳥居。台輪鳥居。

【燈籠】
・ 大きい
・ 八幡宮を龍神様が囲んでいる。
・ 下には獅子が彫られている。

【八幡馬】
・ 八戸と言えば。
・ ウマは神の乗り物。
・ 神の願いを届ける。
・ 雨水を守護する神。

【神橋】
・ 川は結界の役割。
・ 人が歩く橋ではなく、神様が渡るための橋。
・ 反りがきつくなっている。
・ 反りは地上と天上を結ぶ虹を表現している。
・ 反りの形状から『太鼓橋』と呼ぶ。

【神門と荒垣】
・ 荒垣の向こう側は神が占有する場所。
・ 神門の手前にはしっかりと狛犬も鎮座。
・ 四脚門で、随身像はおられない。
・ 達筆で『謹賀新年』と。
・ 一番珍しいのは、とぶら部分の乳金具。本殿と同じく『六葉』の模様がついている。釘隠し。
慶安元年建立とのこと。
四脚門は平屋の中でも最も格式の高い形式。【南部總鎮守の宮の正門】としてふさわしい構造形式。

【狛犬】
・ 神門・荒垣の近くに鎮座。
・ がっしりとした体躯をしている。
髪  : 前髪はカール。真ん中分け。
眉  : 髪に隠れているのか区別が難しい。
目  : 小さめの楕円形。
鼻  : 獅子鼻。大きさを感じさせない。
唇  : 強調していない。
歯  : 牙は見えるが、こちらも強調していない。
髯  : 顎髭もカール。
毛並み: 流れている。尾も流れ尾。

【社殿】
・ 木鼻には獅子の彫刻。
・ 拝殿の上部には干支の額が飾られている。
・ 拝殿前には今年の干支・卯が。
・ 海老虹梁の曲線が美しい。
・ 拝殿内には狛犬ならぬ、八幡馬が鎮座している。

【本殿】
創建年 : 慶安元年(1648)
創建者 : 南部重直公
彫刻  : 【六葉】【楓に鳳凰】の透かし彫り。【撫子】の彫刻。
その他 : 国指定重要文化財。

御朱印のについて

・ 御朱印あり。
・ 二種類の御朱印帳⇒国宝の鎧の描かれたモノ・八幡馬の描かれたモノ
・ 数種類あり。
・ 期間限定もあり。

まとめ・感想

一度櫛引八幡宮の記事は上げているが、改めて参拝してきた。
南部は雪が少ないが、風が骨の芯まで冷たい。駐車場に車はあるが、参拝者は少なかった。
改めて参拝してみて気づいたことは、重要文化財の多さだろう。
敷地が広いから、と言うこともあると思われるが、創建年から数百年経つのに、家事などの災害にも合わずに今に当時の威風を残す建造物が多い。
創建当時から修理はされてはいるものの、これらの重要文化財を保護する・未来に残すためにも、保存等が進むことを切に願う。
久しぶりの参拝だが、様々な場所にある彫刻や、摂社も見ごたえがあった。
本殿の中には入れないが。拝殿にも負けず劣らない、色々な彫刻が施されている。
拝殿・本殿のまわりの末社も見ごたえ十分。摂社に関しての記事は近日書く予定だが、その中には重要文化財に指定されている建物もある。
敷地内にどれほどの国宝と重要文化財が存在しているのだろうか?
戦時中だけでなく、様々な時代で戦火・失火による被害もなく現存しているのだろう。もっと文化財の保護が活発になってくれるのを願う。

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