近場や穴場の神社紹介。地元の紹介。

  1. ホーム
  2. 御首題
  3. 妙乗寺/記録とかは無いが

妙乗寺/記録とかは無いが

太宰治のふるさとである金木町に鎮座されている日蓮宗の寺院。斜陽館の近くであるため、記述等は境内にも記されてはいないが、太宰治に何かしらのゆかりのありそうな寺院。この近隣の寺院ではこの形の山門が一般的なのだろうか?

基本情報

寺院名  : 妙乗寺
宗派   : 日蓮宗
山号   ; 青蓮山
正式名称 : 青蓮山 妙乗寺
読み方  : しょうれんざん みょうじょうじ
住所   : 青森県五所川原市金木町朝日山425
御首題  : あり
開山   : 唯法
開基   : 日良
創立年  : 正徳4年(1714)
その他  : 太宰治生家斜陽館近く

歴史

宝永5年(1708)に日良が川内村(現在の中里町)に庵を結び、妙乗庵と称する。
正徳4年に、金木村に開基。荒関利右衛門からの時寄進により、寺院を建立した。享保12年(1727)に現在の【青蓮山 妙乗寺】と称するようになったという。
文化14年(1817)に庫裏を建造するも、慶応3年(1867)に全山消失。
明治17年(1884)に再建する。
大正9年(1920)に第二十世の大明院日実の代になると、鐘楼堂を建造する。
昭和21年(1946)第二十一世日霓が本堂屋根をトタン葺に改造する。
昭和54年には第二十二世の日明が本堂を改築し、戦時中に没収された鐘楼を新調した。
平成2年に庫裏新築。

日蓮宗と鬼子母神様について

・ 日蓮宗における祈祷本尊は、鬼子母神様
・ インドでは【ハーリティ】と呼ばれる
・ 自身の子供は1万人
・ 元は邪神。自身の子供を養うために、他人の子供をさらって、その肉を食べていたという
・ お釈迦さまはハーリティが一番かわいがっていた末っ子の【ビンカラ】を隠してしまう
・ 世界中を探しても見つからず、流石の彼女も深く悲しむ
・ お釈迦様に救いを求めるが『お前は一万人のこの中の一人が居なくなっただけでその悲しみ様だが、お前に子を攫われた人々は3~5人しかいない中の一人だ。命の大切さと、子供がかわいいことは人間と鬼神の間でも変わりはない』と諭す
・ 彼女は自身の罪の重さに気付き。今後は人の子を攫うことを辞め、お釈迦様の教えを胸に、【全ての子供たちと、仏教を信じる人々を護ること】を誓った
・ 『法華経』の26章の『陀羅尼品』の中で鬼子母神が十羅刹女と共に、法華経を信仰する人を守護することを誓約している
・ 日蓮大聖人も鬼子母神を信仰される。第曼荼羅に鬼子母神を勧請されている
・ 日蓮宗において御祈祷する際は、鬼子母神を法華経信者の守護神の一つと位置付けている
・ そのためほとんどの日蓮宗寺院では【鬼子母神様がお祀り】されている

日蓮宗と大黒天様について

・ 法華経の守護神として鬼子母神様と共に並び祀られている
・ 七福神の一柱としても広く知られ親しまれている
・ 福徳や財宝を与える御利益を持つ
・ 元々はインドの【死を司る破壊神】としての顔を持つ
・ サンスクリット語で摩訶迦羅と書き、【マハーカーラ】と呼ばれていた
・ マハーは『大いなる』、カーラは『闇黒』
・ インドでは祈ると必ず勝利するという御利益で、インドでは大いに信仰されていた
・ 日本においては平安時代に天台宗の開祖である伝教大師が比叡山延暦寺に祀ったのが始まり
・ 出雲大社の御祭神『大国主命』が『大黒』と同音であることで、民俗信仰と習合し『七福神の一柱』に加えられ、江戸時代に現在の御姿になり、福の神として普及していく
・ 大黒様は食堂や台所に祀ることが多い
・ 米俵に乗っているのは『毎日ご飯を備えてお参りすれば、一生食に不自由させない』というお告げが残されていることから、米俵と結びついたとのこと

南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の違い

【南無阿弥陀仏】
読み方  : なむあみだぶつ
言語   : 古代インドのサンスクリット語
宗派   : 浄土宗
南無   : 私は帰依します
阿弥陀  : 無料の命、果ての無い光。私たちにははかり知ることができない
仏    : 悟りを開いたもの=仏様
・ 『南無阿弥陀仏』の言葉の意味は【私たちは悟りを開いた者(仏様)にすがって全てをお任せいたします。私たち悟りを開いた者(仏様)に心から従います】とのこと

【南無妙法蓮華経】
読み方  : なむみょうほうれんげきょう
言語   : 『南無』は古代インドのサンスクリット語
宗派   : 日蓮宗
南無   : 私は帰依します
妙法蓮華経: 『全ての生き物を掬い、古都け様のところまで導く』ことを目的とした法華経の教え
教え   : 法華経の教えに帰依する
意味   : 私はお釈迦様の功徳が全て備わっている法華経の教えを信じ従います
・ 法華経の特徴として、全てのお経が含まれている
・ お釈迦様の本当の心が表現されているお経
・ 法華経が世の中を掬うことを悟り、鎌倉時代に日蓮上人が拡げていく

境内の様子

【山門】
・ 門の形としては四脚門
・ しかし屋根のある場所に鐘楼がついている
・ 山門から境内をぐるりと垣で囲われている
・ 脚の下部にはアヒルとパンダの石像?があった
・ バランスよく左右の脚に居たなぁ
・ 流石に仁王様変わりじゃない、と思いたい

【鐘楼】
・ 山門の上に乗っかている形式の鐘楼
・ 【鐘楼門】という
・ 階上が胴鐘をつるした鐘撞堂
・ 階下は通行するための門になっている
・ 近くの雲祥寺も似たような山門だったが、このあたりでは多いのだろうか?

【本堂】
・ 某感染症の影響により、御本堂の見学は出来ず
・ 数年前に直したとのこと
・ 細部の彫刻が素晴らしい
・ のどかで静かな場所
・ 寺紋も堂々としている

【大黒様】
・ 境内の入り口近くに鎮座されている
・ その笑顔は安心させてくれるような力を持っているように感じる
・ 昔から此処で見守ってくださっているのだろうか?

御首題について

あり。
寺務所にて頂ける。

まとめ・感想

数年前に本堂を直したとのことで、以前とは様相が全く違うとお聞きする。
住職様より以前の建物の雰囲気を見るのに、日蓮宗のサイトを勧められ、帰宅後に覗いてみるが…。確かに以前の本堂はシンプルで素朴な感じを受けた。
以前の想影を現在の御本堂から感じられるのは、向拝柱は以前の様相を残しているらしい。
向拝虹梁・木鼻・破風板・唐破風棟鬼飾りの彫刻は、華美な装飾や煌びやかさはないが、シンプルでかっこいい感じがする。
鬼飾りや紋章の棟飾りは、日蓮宗の寺紋である『井桁に橘紋』が金色に輝いている。
新しいが古いような雰囲気を持っている。
歴史も古く由緒のある寺院。
何よりも斜陽館からも近いことから、此処も太宰ゆかりの地なのだろう。雲祥寺などのように詳しい記述や逸話はないが、何かしらの縁があるのだろう。
そういうことを妄想・想像しながらの散策も悪くないのではないだろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA