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【善知鳥神社】どんな鳴き声なんだろうね?

基本情報

神社名  : 善知鳥神社(うとうじんじゃ)
住所   : 青森県青森市安方2-7-18
御朱印  : あり。御朱印帳もあり
建立年  : 第十九代允恭天皇の御世
創立者  : 善知鳥中納言安方
社格   : 旧見社(奥州陸奥国外ヶ浜總鎮守)
その他  : 青森市発祥の地、棟方志功に縁のある神社

歴史

当神社は現在の青森市が、善知鳥村と言われたころに、奥州陸奥国外ヶ浜總鎮護の神として、善知鳥中納言安方が、この地より北にある蝦夷の悪鬼を誅罰・平定しこの地を治めた。
その神願霊現あらたかな神々を祀ったことに由来する。
中納言はこの地の人々に、初めて漁猟と耕作を教える。
北の辺一帯が現在のように発展したのは彼の聡明な知恵と才能・勇気が神々の御意に叶い、人々にしたい仰がれる所以となったといわれる。
当神社は青森の発祥の地として、長い間連綿と敬神崇祖の信仰が受け継がれている。

鳥頭安潟の夢枕に高倉明神が立ちお告げを受けたことから祠を建立し、宗像三女神を勧請したのが始まりと伝わる。
その後は荒廃していたが、大同2年(807)に坂上田村麻呂が東夷東征の際に再建。それ以来歴代領主から崇敬。
中世は領主である南部家から庇護され社殿の造営や改修が行われた。
江戸時代になると弘前藩津軽家の祈願所となる。
寛永18年に津軽藩三代目藩主・津軽信義の命令で、青森町奉行の森山蔵之助が社殿を再建・社殿の改修を行う。
湊を利用する船舶から境内の鎮守の森が見えていた。開運の目印になっていたころから【青森】という地名の由来となった。
これは天明年(1788)に菅江真澄も当社を参拝し、【青森】の地名に当社が関わっていたことを示唆している。
江戸時代当初は青森町の鎮守は毘沙門堂。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により廃堂に。
明治3年(1873)に郷社に。
明治6年(1876)に県社に列せられる。
明治40年(1907)に幣帛供進社に指定され、青森町の祭礼の中心となる。

義経伝説

源義経が命の危険を察し、平泉を脱出し蝦夷地を目指した際に、当地を通過し当神社を参拝したと伝えられている。

御祭神

宗像三女神
・ 多紀理毘売命(たきりびめのみこと)
・ 多岐都比売命(たぎつひめのみこと)
・ 市寸島比売命(いちきしまひめのみこと) 

合祀
・ 天照大御神
・ 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
・ 海津美神(わたつみのかみ)

御神徳

商売繁盛、交通安全、家内安全、漁業守護、航海安全、国家鎮護

うとうとは何か?

・ 【うとう】と呼ばれる鳥
・ 中型の海鳥
・ 個性が強く親子の情愛が深い保護鳥
・ アイヌ語で「突起」という意味
・ 頭から胸、背にかけて灰黒色の羽毛に覆われるが、腹は白い
・ くちばしはやや大きく橙色である
・ 親が「ウトオウ」となくと子供が「ヤスタカ」と答えるといわれる伝説がある

境内の様子

【鳥居】
笠木  : 反り増しあり
島木  : あり、反り増しあり
木鼻  : あり
楔   : あり
額束  : あり
その他 : 柱の前後に柱が付く
・ 明神系鳥居の発展形である、両部鳥居
・ 通常時も威厳に満ちているが、降雪時の鳥居は赤と白のコントラストが風情を感じる
・ 裏門の鳥居も両部鳥居

【神橋】
・ 鳥居をくぐると直ぐにある
・ 境内に神門はないが、代わりに橋で俗世と神域を分け隔てている模様

【手水舎】
・ シンプルな造り
・ 雪国の神社だが凍っていない

【狛犬】
髪   : 前髪はカールしている、眉との区別がわからない
髯   : 顎髭でカール
目   : 黒い瞳がある、楕円形
耳   : 伏せ耳
鼻   : 特徴的な鼻
口・歯 : どこが唇かわかる、阿吽両方に歯の存在が目立つ
手足  : 大きく力強い感じがする
・ 雪の中で見ると力強く佇んでいるように見える
・ 瞳に色まで入っており、口の内外も赤い狛犬は、お初にお目にかかる
・ よーく見ると手足の爪との境目にも朱色が入っている
・ お座りしたときの手足の筋肉の筋らしきものも見える
・ 細部にまで拘っている造りを見て取れる

【摂社・末社】
①弁財天宮
建立年  : 寛永18年(1641)
・ 水の神として漁業の守護神
・ 音楽や芸能をつかさどる神
・ 福財の神

②稲荷神社
・ 商売繁盛、夫婦和合、縁結び
・ 蟇股に龍神様
・ 木鼻は獅子

③猿田彦大神・月夜見命の石碑

④龍神宮
・ 安永6年(1777)に建立
・ 漁業守護・繁栄
・ 昭和32年に崇敬の方々により再建
・ 蟇股は迫力のある龍神様
・ 木鼻は獅子

⑤龍神之水
・ 水神・海神
・ 御利益の湧き出る場所
・ 古来から水・海の関係する仕事、商売の人たちに信仰されてきた

【拝殿・本殿】
・ 拝殿の裏手に本殿があり、本殿の周りには玉垣
・ 大きく圧倒的な存在感
・ 本殿の造りは古式を残す神明造
・ 神社のシンボルでもある神紋には、鳥のうとうが描かれている
・ 拝殿は広く開かれた神社のように感じられた

【その他】
①青森郵便局創業の地記念碑
・ 明治5年に青森郵便役所として業務をこの地で開始
・ 青森町役場や青森警察署は、明治まで善知鳥神社境内にあった
・ 当神社が青森市の中心であったことの名残

②うとう沼
・ 昔は安潟と呼ばれていた
・ この潟に入る船はどんな時化でも転覆を免れた
・ そのため善知鳥神社と共に漁師の崇敬の対象だった
・ 荒川・入内川が流れ込み、20~24㎞ある
・ 横内城主堤氏が外敵を防ぐため、川の流れを変えた
・ 次第に安潟は干上がり、干拓されていき、その名残が現在の沼

③増田手古名句碑
みちのくの 善知鳥の宮の 小町草
・ 昭和60年
・ 増田手古名は本名を増田義男と言い、大鰐町出身

④芭蕉翁句碑
名月や 鶴脛高き 遠干潟
・ 伝承不詳だが芭蕉作と伝えられる
・ 善知鳥の地に照らし合わせて建立された
・ 句碑は昭和17年に芭蕉生誕300年記念として設立

⑤菅江真澄歌碑
うちなびく たむけのぬさもふりはへて こうごうしくも 見ゆるみず垣
のどけしな そとがはまかぜ鳥すらも 世にやすかたと うとう声して
・ 本名は白井秀雄と言い愛知県生まれ
・ 江戸後期の民俗学者にして歌人

⑥神庫

御朱印について

あり。
特別御朱印も存在する。
善知鳥が描かれた御朱印帳もある。

感想・まとめ

青森県内でも歴史のある神社で、さらに屈指のパワースポットの一つとしても有名。
何回か参拝に訪れているが、静かな雰囲気。年始に訪問した際には、確かに参拝者は多かったが、話し声などは気にならずに、静かに対話(?)ができたように感じられた。
そんな何か言葉にはできない力を感じられる場所だった。
宗像三女神を祀っていることから『海』や『水』に関係する神社。マップを起動させ、古来の風景を想像すると、陸奥湾から当時の漁師はここを見ていたのではないかと思いを馳せる。
青森駅からも徒歩で行ける距離のため、立地的にもちょうど良いところにある。
また当神社から、同じく県内有数のパワースポットの一つに上げられる廣田神社も近くにある。
筆者は青森市に訪れた際には特に意味もなく当神社をぶらぶらしている。何かしらのパワーが得られると思っている。また小腹がすいたら近くにある、レトロな雰囲気のある喫茶を訪れるのも、また一興なのかもしれない。

    • どこに出掛ける時も御朱印帳を持参。
      その結果、近くのコンビニ行くだけでも持つようになるという意味不明な行動を繰り返している。

      県内でもカッコいい御朱印は多いよ。調べるのもいいけど、ヤッパリ自分で行った方が楽しいね。

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