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【氣比神社】青森県おいらせ町

神社の基本情報

神社名 : 氣比神社
住所  : 〒039-2185 青森県上北郡おいらせ町上久保51−1
御朱印 : 御朱印有り
創立年 : 後鳥羽天皇の時代(1183年~1198年)

御由緒・歴史

源頼朝が奥州征伐時に、陸奥国が広々と開けた馬の生産地になることに着眼する。
牧場の経営を政策の中心として加賀美次郎遠光の三男を派遣する。
この三男が南部三郎光行である。
光行は南部駒を生産し、その地方民にも馬の生産を推奨する。
これ以降陸奥国では馬の生産が盛んになる。
研究年に甲斐国の遠光をとおして、越前国一之宮である北陸道總鎮守・気比神宮の御祭神を賜り、この地に勧請する。
古来より地方民の崇敬は高く、毎年神賑祭日には南部地方だけでなく他の地方からも多くの参詣者が訪れている。

御祭神

足仲彦尊(タラシナカツヒコノミコト)
第十四代仲哀天皇

御神徳

無病息災、延命長寿、五穀豊穣、大量成就、家畜安全

【ケヒ】
氣比(ケヒ)は笥飼(ケヒ)とも。
食物を司り家畜を養う神。

境内の施設

【鳥居】
参道へ入る最初の鳥居
・ 石造りの鳥居。
・ 笠木の下の島木がついている。
・ 最上部が笠木。反り増しがある。
・ 柱下部に台輪。
明神系・明神鳥居と思われる。
稲荷鳥居とは違い、柱頂部に台輪がなく、柱下部に藁座が見られない。

境内を進むと境内に続く鳥居がある。
此方は立派な明神系・両部鳥居。

【力石】
両部鳥居の手前・左側にある、6個の力石。
気比神社の大祭や天祈りには近隣の力自慢の若者が、鳥居前の力石置き場に集う。
それぞれ計上・重さの異なる力石を周りの観客などの助言・声援を聞きながら、石を腹に乗せて少しずつ方の方へと押し上げ、最終的には肩に担ぐ。
それを担いだままその場を数回周り自分の力・技を披露し、観客と共に楽しんだ。
最初に挑戦する石は『追分』と言う。
約16貫。1貫が大体3.75㎏。大体60キロ程。
米俵1俵分くらいとなる。

【摂社・末社】
・ 欅聰前神
大人十人程度で抱えたといわれる欅の神木。
「おそうぜんさまの欅」と呼び、當神社の象徴だった。
数多の防風雨に耐えてきたが、台風による被害で次第に危険な状態になっていく。
危険木として伐採するが、何世紀もの間人々に安らぎと力を与えてくださり、生活を見守り続けてきた神木に、感謝と誠意を捧げ切株の上に社を建てる。
後世に伝えるために祭祀を奉ずる。
彫刻は青龍。木鼻に獅子

・ 志乃武神社
旧日本海軍により、天照皇大神宮・鹿島大神宮・香取大神宮から御霊分けされる。
昭和18年11月18日に、旧三沢海軍航空隊基地に勧請される。
国家鎮護・地域鎮護・航空安全・海上安全・無病息災・開運などの守護神として祭祀。
終戦後の昭和20年9月に、護弘第二二八五八部隊伊東祐満部隊長により、木崎野の守護神である氣比神社に納められる。
以降は航空自衛隊三沢基地の航空安全と、木崎野地域の発展・繁栄を願う守護神として祭祀される。

【狛犬】
・ 角がないため獅子。
・ 流れるような毛並みで、身体に張り付いている。尾は流れている。
・ 前髪はカール。
・ 顎髭らしきものが見える。
江戸式の狛犬の型に当てはまるものが多い気がする。
社殿近くの唖型の狛犬は、礼儀がなっていない参拝者を一喝しているように見えるのは気のせいか?

【社殿】
・ 木鼻に獅子とゾウ。
・ 立派な海老紅梁の曲線と彫刻。
・ 華美な装飾はないが、彫刻が華やかさを醸し出している。

御朱印について

御朱印有り。
年末年始は取り扱っていないとのこと。

雰囲気

境内は木々に囲まれ、鳥居までに至る車道は暗いが、鳥居をくぐり参道は暗さを感じさせないものだった。

いつもは神社の前をただ素通りするだけだった。午前中であっても暗い感じがしていたが、改めて午前中に参拝して思ったことは、
「参拝のために入ると明るく感じる」
だった。何か目的があって訪れると、霊的なモノをあまり感じないワイでも、そこに何かが居られると感じた。
両部鳥居から境内に入ると、年末と言うことで社務所にはお札を買う・拝殿へとお参りする人が何人かいた。近くには車通りがあるが、境内は静かだった。
神門・囲いなどは見当たらないが、俗世と神域を隔てるものとして木々が雰囲気を出しているように思えた。
家からも近いため今までゆっくりと境内を見学していなかった。改めて境内を見回すと力石の存在だったり、鳥居の造り、社殿・拝殿の彫刻等、見るべきものは沢山あったことを知ることができた。

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