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月夜見神社(蓮川観音堂)/鳥居低いですね

全龍寺でお聞きしたところ、対岸にあるよ、とのこと。対岸を進むとやっとで見えてきた鳥居。………なんか低くないかな?

基本情報

神社名  : 月夜見神社
読み方  : つくよみじんじゃ
霊場名  : 蓮川観音堂
住所   : 青森県つがる市木造蓮川清川59

朱印所住所: 青森県つがる市木造蓮川清川60

御朱印  : あり
社号   : 旧郷社
宗派   : 神道
御本尊  : 聖観世音菩薩
建立年  : 延宝7年(1679)
創立者  : 不詳
御詠歌  : 野をも過ぎ 里をもいきて 眺むれば いつも妙なる 法の蓮川
その他  : 津軽三十三観音霊場第十二番札所

津軽三十三観音霊場巡りで欠かせないモノ

・ 御朱印帳は勿論
・ 基本的に無人。朱印所には書き置きもあるが、殆どが自身で押印するモノが多い
・ 筆者は赤のスタンプ台も持ち歩いている
・ 津軽三十三観音霊場の住所や情報が記された下記の本も参考にしている

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歴史

天和2年(1682)に観音堂が建立。正観音像が安置。神仏習合し【正徳院】と称されていた。
正徳3年(1712)に社殿・堂宇などが再建。
寛延年中(1746~1751)には【蓮川観音堂】『津軽三十三観音霊場第十二番札所』に選定。
その後正徳院はすたれるが、蓮川観音堂は残り、多くの参拝者が訪れるようになっていく。
明治初頭に発令された神仏分離令により形式上は仏式が配されたが、飛龍宮から月夜見尊神を主祭神とする【月夜見神社】に社号を改める。
明治6年(1873)に郷社に列する。
明治40年(1907)に神饌幣帛料供進に指定。
昭和32年(1957)に火災により、建物の他に社宝・記録も焼失。中本尊だった正観音像は類焼を免れる。

御祭日

・ 例祭  : 8月18日

御祭神

・ 月夜見命
・ 豊受姫命
・ 庚申

御祭神の神格と御利益

【月夜見命】
・ つくよみのみこと
・ 天照大神・素戔嗚尊とともに、三貴神の一柱
・ 黄泉の国から戻った伊邪那岐が禊をしたときに右目から生まれた神様
・ 月夜見は夜の食国を統治
・ 天照は太陽の神
・ 『その光彩しきこと、日に亜げり。以って日に配べし治すべし』とある。太陽に比肩しうる月の神
・ 『日本書紀』の中でツクヨミが食物神を切り殺すという話がある
・ 月夜見は天照大神の遣いで保食神を訪問する
・ 喜んだ保食神は口から吐き出した食物でもてなした
・ それを見た月夜見は「汚らわしい」と激怒し、切り殺してしまう
・ 勿論天照は怒り、二柱は不仲になった
・ そのため永久に昼と夜が分かれるようになった
・ 天照は保食神のところに天熊人を遣わす。保食神は死んでいたが、頭から牛馬・火階から粟・眉から蚕・目から稗・腹から稲・陰部から麦や大豆や小豆が生まれていた
・ 天照は大いに喜び、民が生活していくうえで必要な食物とし、田畑の種としたことが穀物起源となっている
・ 暦は月の満ち欠けや運行が基準。これにより『暦の神』とも称される
・ 古代より農民は、日と月の巡りを数えることにより、式の変わり目を熟知していく。これにより農作業の区切り目としていた
・ 日や月の満ち欠けから潮の満ち欠けを読み、農作業と漁業との区切りとしていたことから、漁業や海の神として祀る神社の御祭神として祀られることが多い
・ 生命の源泉である水や不老不死の生命力とも関係が深い神
・ 【月読】から『月を読む』。吉凶を占うことに通じ、占いの神とも言われている
《神格》
月の神、農耕神、海の神、占いの神、暦の神、夜の神
《御利益》
農業守護、五穀豊穣、豊漁、航海安全、家内安全

【豊受姫命】
・ とようけひめのみこと
・ 天照大神『の』食べ物を調達する神様
・ 食物神
・ 食物・穀物をつかさどる女神
・ 伊勢神宮の御饌の神
・ 『羽衣伝説』の中で、衣を隠されて帰れなくなった天女が原像
・ 神話の中で語られることが少ない神
・ 第二十一代雄略天皇の夢に現れた天照大神が、「一人では寂しいし、食事も心安らかに取れない。豊受大神を御饌の神として傍に呼んでほしい」と神託。現代風に言うと「ボッチは嫌。豊ちゃんを呼んで!」
・ 龍略天皇は丹波国から豊受大神を迎えて伊勢の地に祀った
・ 丹波国に降り立った八天女の一人
・ 因みに羽衣伝説も発祥は丹波国
・ 稲荷神と同一神。外来の神とも言われている
・ 同じ食物神は倉稲魂命がいる。性格も同一の神格とみられている
・ 両方とも女神
・ 豊受大神が定住した奈具の地には、渡来人系の遺跡が多い。酒造・機織り技術・稲作を伝えたという観点から、外来の神と言われている
《神格》
食物神、穀物神、衣食住の神、醸造の神、機織りの神、稲作の神
《御利益》
農業・漁業守護、産業振興、開運招福、厄除け

【庚申】
・ こうしん
・ 『人間の罪科を天帝に報告する』といわれる道教由来の神
・ 庚申を本尊とした庶民信仰
・ ルーツは中国の道教系の三尸(さんし)説
・ 人間の体内には三尸という虫が潜んでいる
・ 庚申の日の夜に眠っている間に抜け出し、天帝の下へ行きその人の罪科を告げ、早死にさせるという説
・ 中国では庚申の日は身を慎み、夜通し起きていると習わしが生まれた
・ 中国から日本に伝来。神道・仏教・修験道などと結びつきユニークに発展
・ 中世末期に『庚申縁起』なるものが僧侶によりつくられ、全国に広まっていく
・ 日本において庚申の習俗は猿を神の遣いとする山王信仰とも統合
・ 庚申塔は庚申信仰に基づいて建てられた
・ 庚申講を3年に18回続けた記念に建立
・ 庚申塔には仏教・神像・文字など様々なモノが彫られる。猿は干支では申のため、『見ざる聞かざる言わざる』の三猿が彫られたり、村の名前、庚申講員の氏名が記されたものが多い
・ 仏教においての庚申の御本尊は【青面金剛】
・ 神道では【猿田彦神】
・ 元々は呼応通量の少ない街道脇に置かれていたが、現在は寺社の境内や私有地に移転されたものが多い。全損するものは、開発などによる破壊を免れたモノ
・ 田舎町などでは、今でも道の交差している箇所や、村落の入り口に庚申塔の石塔が残っていることもある
《神格》
三尸を抑える神
《御利益》
病気平癒、災難除け、縁結び、健康長寿

御本尊について

【聖観世音菩薩】
・ しょうかんぜおんぼさつ
・ 別名が観音菩薩
・ 七観音の一つ
・ 一つの面・二本の腕。最も基本的な御姿
・ 地獄道にいるのが聖観音
・ 地獄道が六道の中でも一番の最下層で、最も苦しみの多い世界

日本酒・安東水軍とは?

・ 青森県鰺ヶ沢町にある尾崎酒造さんが造る地酒である
・ あんどうすいぐん
・ 日本海に沈む夕日がイメージされた赤いラベルが印象的
・ 昭和63年に尾崎酒造さんにより発表
・ 県内の道の駅やお土産屋さんには殆ど置いてある。青森県内ではお馴染みの日本酒
・ 日本酒らしい日本酒。一口目は苦みと渋みが特徴的だが、飲み重ねることにより米のうまみが口の中に拡がっていく。お米を飲んでいるような感覚になってくる。冬場は鍋をつつきながら、熱燗で流し込むのが最高にイイね!
・ 鰺ヶ沢と言えば『わさお』や『舞の海』で有名な街
・ 筆者的には鰺ヶ沢と言えば『鯨餅』が有名だと思っている。浅虫の『久慈良餅』も良いが、鰺ヶ沢の素朴な感じの方が好き
・ 尾崎酒造の歴史は古く、元々はかめや酒店と言い、万延元年(1860)創業
・ 十三湊で交易により栄えた【安東水軍】にちなんで名づけられた

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安東水軍の歴史

・ 十三湊を拠点都市、日本海一体に交易網を広げ、海外とも取引を深めた水軍
・ その昔、始皇帝の命を受け不老不死の仙薬を求め徐福が小泊に上陸したと伝わる。日本における徐福伝説の多くは日本海側に集中している
・ 12~15世紀後半の長期間にわたり、十三湊では国内外と盛んに交易がおこなわれた
・ 室町時代に成立した日本最古の海洋法規集【廻船式目】の中で、十三湊は『三津七湊』の一つに数えられている
・ 西のは肩に匹敵する、東日本最大規模の港湾都市とも言われていた
・ その都市の繁栄を築き守っていたのが安東氏
・ 十三湊の遺跡からは中国製の陶磁器や青磁が見つかっている
・ 初代津軽藩主津軽為信から大正時代の津軽義孝伯爵までの、歴代藩主からの信頼を得ていた
・ 現在の十三湖は『湖』だが、これらの遺物や遺跡、古文書などにより、嘗ては海に面していたことがわかる
・ 盛者必衰の言葉が浮かぶ十三湊
・ 中世に十三湊が衰退すると、安東水軍は津軽から秋田地方を中心に支配。海上の関所のような役割を担った
・ 因みに十三湖と言えば『しじみ』が大粒で有名

境内の様子

【一の鳥居】
笠木  : 反り増しあり
島木  : あり・反り増しあり
木鼻  : あり
楔   : あり
額束  : あり
その他 : 柱の前後に稚児柱あり
・ 神仏習合の特徴が残る鳥居
・ 明神系鳥居からの発展形【両部鳥居】
・ 朱色ではなく石造り
・ 柱の上部から立派な注連縄。米俵から五穀豊穣祈願かな?
・ 注連縄の下、稚児柱に乗せるようにお供えしてあるのが安東水軍と、紅白のは餅か?それと辰年の絵
・ 龍神の絵は少々頼りなさげだが、愛嬌のある顔立ちをしている
・ 鳥居は立派な造り

【二の鳥居】
笠木  : 反り増しあり
島木  : あり・反り増しあり
木鼻  : あり
楔   : あり
額束  : あり
その他 : 柱の前後に稚児柱あり
・ 一の鳥居同様に【両部鳥居】
・ こちらは朱色の鳥居。所々色が剥げている
・ 元々はこちらが一の鳥居だったのだろうか?
・ 無人とはいえ立派な一の鳥居があるということは、近隣の方々に大切にされている場所なのだろう

 

【三の鳥居】
笠木  : 水平
島木  : なし
木鼻  : あり
楔   : なし
額束  : あり
その他 : 笠木の断面が斜め
・ 多分神明系鳥居の【鹿島鳥居】だと思われるが…
・ 本来は額束は存在しない。そもそもこれは額束なのか?
・ 楔が存在していると【宗忠鳥居】にもなるが…
・ こう言ったら失礼だが、ややこしい鳥居だなぁ…

【参道】
・ 今年は雪が少ないので歩きやすい
・ 筆者参拝時に御社殿に続く道に足跡がある事から、近隣の方々が新年のあいさつに来たのだろうか?
・ 観音堂の前や、神社拝殿脇に車のタイヤ跡がついていることから、御神酒などを運んだ方々なのだろうか?
・ 集落に溶け込むような場所にあるが、意外と参拝者も多くいるのだろうか?
・ 雪道だがぬかるんだところはなく、以外にも歩きやすい場所だった

【狛犬】
髪・眉 : 失礼ながら手ぬぐいを少しずらしたところ、カールした前髪があり、眉は見えなかった
口・歯 : 唖形型の口元には牙が見える。他の歯も小さいながらも生えている。唇らしき縁取りも見える
髯   : 顎にパヤパヤっと短めの髭がある
耳   : 斜め下へと垂れるような伏せ耳があった
目・鼻 : 目は見えず。鼻は大きな獅子鼻
毛・尾 : 流れるような毛並みが体に張り付いている。尾は立派な立ち尾
手足  : 前足の先っぽを少し浮かしているように見える。それほどガッシリとしていない
姿勢  : ピンと背を伸ばしたお座り姿勢。お尻を下に付けるのではなく、少し浮かしているように見えるのが特徴的
・ 素敵なほっかむり
・ 顔の全貌は見えにくいが、寒そうなので断念
・ ただ唖形型の狛犬の口元が緩んでいることから、何だか嬉しそうに見える

【石燈籠】
・ 一の鳥居を進んだ脇に二基
・ 何かしらの出来事で壊れたのを補修した跡が見える
・ 壊れたままにしていないあたり、手入れが行き届いている感じがする
・ 何か変わった感じはしない

【摂社・末社・石碑】
・ 御社殿左側に稲荷神社
・ さらにその左側に【鹿島鳥居】もどきと、庚申塔・猿田彦大神の石碑郡
・ 明治19年と大正12年と石碑には刻まれていた
・ じっくりと刻まれた文字を読むと、その時代にもここを訪れた人が居るんだなぁ、と感慨深いものが湧き上がってくる
・ その熱量も寒風で直ぐに雲散したけど

【月夜見神社御社殿・御拝殿】
階層   : 平屋建て
材質   : 木造
建築様式 : 切妻
屋根の特徴: 妻入り
屋根の材質: 鉄板葺
その他  : 唐破風向拝付
・ 宮彫りや木鼻なんてなかった
・ 小さくもなく大きくもなく
・ 雪国特有の二重玄関
・ 拝殿内は整理されている
・ 外から見る以上にひろい
・ 左上に仲の良い夫婦の牛
・ 奥の月夜見神社の額の隣のは馬
・ だるまストーブではない普通のストーブだった

【蓮川観音堂御社殿・御拝殿】
階層   : 平屋建て
材質   : 木造
建築様式 : 切妻
屋根の特徴: 妻入り
・ 月夜見神社の庚申塔などの鳥居を正面にした場合、左手方向に建っている
・ 神社に比べてこちらは簡単な造りの建物
・ 神社と違いは行って直ぐが拝殿
・ 引き戸の上部に蜘蛛の巣が張っていたが、内部はホコリ等の臭いはなく、綺麗に整理整頓されていた
・ 何件かの観音堂を見てきたが、かなり簡単な造りをしていた
・ それでも此処に鎮座される観音様は数多くの崇敬をされてきたからこそ、近隣の方々に大事に大切にされてきているのだろう
・ 無人だが蔑ろにされていないように感じられる場所だった

【朱印所】
・ 雪で寸断されているからかはわからないが、一度鳥居を出て対岸に渡り、ぐるっと回らなければ行けない場所
・ 神社鳥居から歩いて2分程度の場所にある
・ 神社・観音堂同様に無人対応だが、24時間対応しているとのこと
・ 朱肉が乾燥しているなどのことはなく、押しやすかった

御朱印について

・ あり
・ 神社近くの民家で、自身で押印する

まとめ・感想

当神社を目指していたが普通に道に迷う。たまたま近くに全龍寺さんがあり参拝し、観音堂のことをお聞きする。どうやら対岸にあるとのことで、全龍寺さんから歩いて向かうことに。
徒歩5分圏内にあった。何故見落としたのだろうか?少し引っ込んだところにあったからだろうか?無事に参拝できたことを嬉しく思う。
鳥居の貫の下に御神酒としての安東水軍と龍の額が供えられていた。南部の方だと八仙や駒泉だが、やはり土地柄なのだろう。

境内はそれほど広くはなく、ギュッとまとめたような場所だった。二の鳥居の色がはがれたり、観音堂の入り口に蜘蛛の巣が張っていたりとしていたが、御社殿・観音堂内は整理されていた。無人とはいえ定期的に人の出入りはあるようで、参拝時には車が通った跡が見える。一の鳥居や御神酒と注連飾りも新しいことから、近所の方々に大事にされ整備されているのだろう。
参拝後に割と本気で安東水軍を買おうか迷いながら帰路についた。

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