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雲祥寺/斜陽館の近所、太宰が幼い頃に訪れていた

基本情報

寺院名  : 雲祥寺
読み方  : うんしょうじ
宗派   : 曹洞宗通幻派
御本尊  : 釈迦如来
山号   ; 金木山
正式名称 : 金木山雲祥寺
住所   : 青森県五所川原市金木町朝日山433
御朱印  : あり
霊場   : 津軽八十八ヶ所霊場第7番札所
開山   : 繁翁茂和尚
創建年  : 慶長元年(1596)
寺紋   : 武田菱
寺宝   : 十王曼陀羅
その他  : 寺宝は太宰治『思い出』の作中に登場

歴史

伝承によると天正19年(1591)に九戸政実の乱に加担した武田甚三郎が和尚など家臣5人と共にこの地に逃れた。菩提寺として雲祥寺を開山したと伝わる。
寛文7年に津軽藩主の藩命によって弘前藩成立後は寺院は庇護下に置かれ、寛文7年(1667)には藩命により聖眼雲祝和尚(長勝寺十四世)を招き中興開山。
文化8年(1811)に愚全和尚(15世)が中興している。
現在の雲祥寺山門は享和3年(1803)に武田家が寄進したもの。門の両側には仁王像が安置されている。
門には武田菱が掲げられている。
家号である金木屋から当地名である【金木】が発祥したという。
現在の本堂は昭和44年(1969)に再建された。
寺宝である【十王曼陀羅】は江戸時代中期ごろの掛図。木村宇兵衛による寄進。
太宰治の『思ひ出』に紹介されたことにより、見学者が多く見られるようになった。

武田甚三郎とは?

甚三郎は南部櫛引村領主だったといわれている。武田家の後裔ということで、家紋が『武田菱』とのこと。それにより寺紋も『武田菱』である。
しかし弘前藩初代藩主津軽為信の父親も武田甚三郎の子供だったという説もある。
年代を考えると寺院の開基者と為信の父親が同一人物だったかは不詳。
武田家の後裔は金木屋の屋号を掲げ、地名の由来になったとも云われている。

境内の様子

【奥津軽大観音】
建立年  : 平成13年11月11日
総丈   : 約10メートル
役割   : 納骨・分骨・永代供養
・ 見上げるほどの大きさ
・ 太宰の居た時代には見られない風景
・ 『津軽』より【汝を愛し、汝を憎む】

【お地蔵様】
・ 桜の花柄の前掛けを着ている
・ 十字もピンク
・ 桜の木の下のお地蔵様。悟りを開いている?
・ 三地蔵共に笑っているような、穏やかな表情

【山門】
寄進年  : 享和3年(1803)
寄進者  : 武田家
・ 三間一戸
・ 楼門建築
・ 下層部の両側に仁王像安置
・ 上層部には鐘楼堂がある
・ 明治38年の火災で破損した梵鐘は正徳5年(1715)の銘がうたれていた
・ 現在は随身門だが、太宰治の幼年期は随身部分は無かった
・ 寺紋の武田菱が掲げられている
・ 仁王像は躍動感と迫力がある
・ 筋骨隆々と目力が強い

【皇風永扇佛日増輝の石碑と、石碑を支える獅子】
・ 『皇風』は天皇の仁成、天子の徳
・ 石碑を四方から獅子が支えている
髪・眉 : 眉に髪がかかっていない。眉が描かれている
口・歯 : 唇がわかる。歯は三角でしっかりと分る
髯・耳 : 耳は横に伸びている。髭は顎髭でカール
目・鼻 : 楕円形の瞳。大きな獅子鼻

【老松】
・ 樹齢500年以上
・ 寺院創建以前からあったとのこと
・ 寺院の歴史が始まる前後を見てきた生き証人
・ 幼い太宰も見て触ったのでは、と思うと感慨深い

【本堂】
・ 現在の本堂は昭和44年(1969)に再建された
・ 総ヒバづくり
・ 本堂前には桜の木。季節が合えば、桜が見られるかも
・ 華美な装飾や、凝った彫刻が無い質素な造り
・ 重厚な力強さを感じさせる
・ 屋根が緑がかっており、ピンクの桜との色合いがちょうどよい

【地獄絵】
・ 某感染症の影響で見れなかった
・ 幼き頃の太宰が乳母のたけと見に行っている
『思いで』の一文より
「たけは又、私に道徳を教えた。お寺へしばしば連れて行って、地獄極楽の御絵掛地を見せて説明した。(中略)嘘を履けば地獄へ行ってこのように鬼のために舌を抜かれるのだ、と聞かされた時には恐ろしくて泣き出した」

津軽地方のお地蔵様の特徴

・ 津軽地方では地蔵信仰が一大規模に発展している
・ その規模は京都に匹敵するとか
・ 確かに地蔵堂やそれに関連する祠が、南部に比べて多い気がする
・ 津軽字増の一番の特徴に【十字前掛け】という風習がある
・ 由来は不詳だが、キリスト教にかかわっているという説もある
・ 新郷村で似たのを見たような?
・ 顔の表情がはっきりとしている

御朱印について

・ 書置きであり
・ 本堂隣の寺務所にて頂ける
・ 年月日の記入は自分で
・ 津軽八十八ヶ所霊場の御朱印

まとめ・感想

歴史を感じさせる山門と、立派な奥津軽大観音様が参拝者をお出迎えしてくださる寺院。
この寺院も太宰治に縁のある場所。
筆者が来訪時はまだ桜満開ではなかった。
境内には桜の木が植えられており、本堂前の桜も満開ならば迫力のある見ごたえある景色だったかもしれない。
本堂内は某感染症の影響もありまだ見ることは出来ない。しかし境内の山門や観音様を見学するのも悪くない。
山門に掲示されている看板の内容を看過できない人もいるかもしれない。しかし現在まで築き上げられてきた歴史などは汚れるわけではない。
看板を気にすることなく、この境内を『あの太宰治も歩いたかもしれない』『この山門を見上げたかもしれない』と想像するのも面白いだろう。
文豪が見たであろう憧憬に馳せるのもまた一興。

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