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地蔵院/同じ山号だけど、違う寺院

帰宅後に写真整理していて気付いた。同じ山号ということを。『山号』というだけあって、本来は『山』なのだが、どう見てもこちらは平地。どうして『山』なのか?寺院のことと『山号』について調べようと思う。

基本情報

寺院名  : 地蔵院
宗派   : 真言宗醍醐派
山号   ; 愛宕山
正式名称 : 愛宕山 地蔵院
読み方  : あたごさん じぞういん
住所   : 青森県黒石市山形町81

御朱印  : あり。授与時は平川市の赤倉山金剛寺さんより
開基   : 日蔵
創建年  : 承応3年(1654)
御本尊  : 勝軍地蔵尊
その他  : 津軽弘法大師霊場第20番札所
       津軽七福神・恵比須様

歴史

古くは京都三宝末の修験道だったが、修験道廃止により真言宗となり、醍醐派に属する。
承応3年に津軽土佐守が創建。
黒石藩初代藩主である津軽信英公が弘前より分知となる。その後元禄10年五黒石三代藩主・津軽政兜が寺禄30石を下賜。津軽黒石藩代々の祈願所となる。
津軽為信が慶長7年に戦勝を祈願し、高賀野の愛宕大権現を勧請。
承応3年(1654)に現在地へ。
元禄10年(1697)に、黒石領主の祈願所になる。
当寺の境内に広さは3000坪余りあったといわれる。
『高賀野の愛宕権現』とは、現在の弘前市にある橋雲寺近くにある愛宕山神社。橋雲寺が遷座の折りに、御本尊を寄進されたといわれる。
昭和46年五不慮の火災により、本堂並びに本尊、寺宝の津軽為信公真筆の勝軍地蔵菩薩の画幅など、ことごとくを灰燼に帰した。
翌年47年に仮本堂を立て、今日に至る。
黒石の夏の風物詩の盆踊り『黒石よされ』の元踊りは、藩政時代に、地蔵院の境内で踊られ、その発祥の地とされている。

津軽七福神・恵比須様

・ えびすさま
・ 福徳を招き入れる神様
・ 【釣り竿と鯛】は、『おめでたいとされる全ての物を吊り上げ、その徳を参詣の人々に分け与える』
・ 縁起神として幅広い信仰をされている
・ 日本の神様
・ 七福神の中では唯一日本古来の【福の神】
・ 福徳の他にも、漁業の神や商売の神の側面も持つ
・ その他にも五穀豊穣・開運招福・学業成就などの御利益がある
・ 元来は『古事記』に登場する伊邪那美命と伊邪那岐命との間に生まれた神の子・蛭子
・ 未熟児だったため両親は船の乗せて捨てることに
・ 海をさまよい流れ着いたのが、現在の兵庫県西宮。地元の人間が助け、蛭子様を恵比須様として祀るようになる
・ それが恵比須振興の総本山である【西宮神社】
・ 古来より日本では、海から流れつく物は縁起が良い、幸や富をもたらすものとされていた
・ これが転じて【海から来た恵比須様】⇒【幸や富をもたらす福の神】となった
・ 釣り竿を持つ理由は、網ではなく釣り竿を使用するのは『欲張らない』という教えが含まれる

恵比須様とエビスビールとの関係

・ 東京の山手線にある恵比寿駅は、元々『エビスビール』の向上があったことからつけられている
・ 最初は『大黒天』にしようとしたが、既に『大黒ビール』なるものが横浜で発売されていた
・ 第二候補として挙がっていたのが『エビス』
・ 恵比寿ビールは売れ行き好調となり、工場内に線路を曳いて貨物列車で出荷をしていた
・ ビール工場が移転し、貨物が廃止されたが、客車が残り、その後は現在の駅として機能していく
・ 恵比寿の商店街には【恵比寿神社】がある。恵比寿ガーデンプレイス内にも神社はあるが、こちらはエビスビールを始めた際に、総本山である西宮神社から勧請してつくられた神社
・ 若しかしたらサッポロビールの【YEBISU】ではなく【DAIKOKU】になっていたかもしれない

御祭日

1月1日   : 初護摩供
2月24日   : 水子供養祭
4月23~24日 : 百万遍数珠供養
7月23~24日 : 本祭
10月1~30日 : 七五三祈祷

平地なのに『山』?

街中や平地にあっても【〇〇山】と着く。何故なのか?
調べていくと仏教発祥の地、インドまで行きつく………と思いきや、山号が付くようになったのは、中国へと伝来してから。
山岳信仰と結びついた結果。例えば『五台山』や『崇山』などがある。
しかし全ての寺院に『山号』がついているわけではない。仏教が伝来する以前から、【聖なる山】に寺院が建てられ、修行場として機能・発展していったことで、山の名前が【山号】としてつくようになった。
日本でもなじみ深い寺院を例として挙げる。
少林寺拳法でおなじみの【少林寺】は、正式名称として【嵩山少林寺】という。山岳信仰が盛んだった【嵩山】の麓に開かれたから。
 日本には平安~鎌倉時代に掛けて伝来する。
禅宗からほかの宗派へと派生していくこととなる。
日本では独自の発展をしていく。
亡くなった人の魂が昇っていく場所・俗世から隔絶された山々が信仰対象となっており、仏道の修行場としてふさわしい場所とされていた。
仏道の修行の場であるという意味を込めて【山号】がつけられるようになった。
そのため平地であっても、『仏道の修行の場』という考えが広まり、山以外でも【〇〇山】とつくようになる。
身延山久遠寺や華頂山知恩院など、寺院が位置する地名にちなんだ山号が多い。
平地に建てられた寺院として有名どころでは、吉祥山永平寺が有名か。因みに『吉祥山』は存在しない。道元が名付けたといわれる。浄土真宗系統の寺院には【山号】が付かない例もある。

黒石よされ

・ 黒石の夏の風物詩になっているお祭り
・ 日本三大流し踊りとも
・ 由来は『盆には仕事をよしなされ、そして楽しく踊りなされ」
・ 盆踊りの【男女の恋の掛け合い唄】といわれる
・ 踊りの基になっているのが『元踊り』
・ 【踊り踊るなら愛宕の庭で…】の歌詞
・ 当地が【黒石よされ】発祥の地

境内の様子

【山門】
・ シンプルな造り
・ 門の横から板張りの垣がのびる
・ その造りと見た目から【棟門】
・ 2本の主柱の上に切妻屋根をのせた門
・ 柱は本柱2本の身の造り
・ 寺院名の書かれた額がつけられている
・ 門の高さはそれほど高くはない

【手水舎】
・ 水が出る箇所は龍神様
・ 無人+某感染症ということもあり、水は出ていない
・ 無人ではあるが綺麗
・ 門同様にこちらも本柱2本のシンプルな造り

【身代地蔵尊】
・ お地蔵様が祀られている
・ 御堂の脇の松の木の横にも、お地蔵様が安置されている

【参道】
・ 手水舎同様に、無人ではあるが綺麗にされている
・ 人の気配がなく寂しい感じではあるが、人の手が入っていることでどこか温かみを感じる

【水子地蔵尊】
・ こちらも周りと内部共にきれいにされていた
・ 簡単な造りの建物だが、雪の重みや吹雪にも強い造りになっている

【津軽七福神霊場・恵比須天】
・ 身代地蔵尊・水子地蔵尊と同じような造りのお堂
・ 周りは綺麗
・ 中も祖と同様に整理されていて綺麗
・ 色々な物でごちゃごちゃしておらず、シンプルな堂内
・ かろうじて釣り竿を持った恵比須様を見ることができる
・ 優しそうな笑顔

【御本堂】
・ 過去に大火により焼失した後、仮堂になったことにより、現在も仮のお堂とのこと
・ 山門入って参道を進むと大きく立派な本堂が『バーンっと!』と期待していたが、これはこれで趣があるのかな?
・ 焼失した後もどこかと合祀されたり、そのままになったりとある中で、仮堂でも後世に残ることは地域の方々の尽力と、大切にされてきたから現在にも残っているのだろうか
・ 他のお堂に比べると、両脇に雪除けがあり、他よりも立派に見える
・ 兎年の切り絵が注連縄の上に掲げられている
・ 内部は『津軽家の家紋の卍』と、雪国では昔からお馴染みのだるまストーブ
・ 本堂貫の上の蟇股は、雲の彫刻のように見える

御朱印について

・ あり
・ 当院は無人のため、平川市にある【赤倉山金剛】様でいただける
・ そういう張り紙も掲示されている

まとめ・感想

無人ではあるがしっかりと管理されている様子。御朱印についても、別の寺院で対応してくださる(ちょっと遠いけど)。
昔ながらの商店の中に溶け込むようにして存在している。人・車通りに面しているにも拘らず、ゆったりとしており穏やかな雰囲気を出している。
黒石よされ発祥の地ということで、もうすぐよされの時期。青森の夏祭りである『ねぶた』や『ねぷた』などのような力強さや激しさはないが、ゆったりとした流れるような踊りは青森の夏の終わりを示すかのように思える。
よく「津軽人は『じょっぱり』だ」と言われるが、黒石の方々は下手な踊り参加でも温かく受け入れ下さり、踊り方のレクチャーもしてくださった。
駐車スペースはあるにはあるが、狭いため見落とし注意。境内の配置は分かりやすかったが、駐車スペースは見つけにくいのが難点。
近くには県重宝に指定されている【寶巌山法眼寺】がある。直ぐの場所なので、こちらの訪問もお勧めしたい。

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