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三八城神社/八戸の中心街に鎮座するが…

八戸市役所・公会堂が隣接する場所に鎮座される神社。目と鼻の先は八戸の中心街。道路を一本挟むとおがみ神社もある。立地は最高なのだが………。

基本情報

神社名  : 三八城神社
読み方  : みやぎじんじゃ
住所   : 青森県八戸市内丸1丁目1−69

社格   : 旧県社
御朱印  : あり
創建年  : 元禄2年(1689)
創立者  : 八戸藩二代目藩主・南部直政
その他  : 境内に義経北行伝説の一つがある

歴史

南部直政が八戸城内に甲斐源氏の祖先である新羅三郎義光の分霊を勧請したのが始まりと伝わる。
当時は【新羅宮】と称していたが、明治に入ると八戸城が廃城となる。その際に内部の建物が取り壊し・払い下げとなり、社d年も城外へと移された。
その際に新たに社殿が造営された。同じく八戸城の鎮守社で城内に祀られていた神明社と、南部家の祖とされる南部光行・八戸藩藩祖南部直房の分霊を合祀し、祖霊社に社号を改めている。
明治7年(1874)に、八戸城内の本丸へと遷座。神社名も現在の名称に改める。
明治11年(1878)に正式に神社となる。
明治12年(1879)に県社に列する。
明治39年(1906)に神饌幣帛料供進定社に指定。
現在の社殿は大正15年(1926)に造営されたもの。
【神社名の由来】
三  : 『三』戸郡
八  : 『八』戸城
城  : 『城』で囲む

義経北行伝

簡単な義経伝説の説明。
源九郎判官義経は平泉の地で自害していなかった!
31年の生涯は短く、華麗だったことから、その生涯を想い・憂い、後世の人々は『義経は悲劇の前年にひそかに平泉を脱し、北を目指して旅に出ていた!』という伝説を作り上げた!
それが世に言われる【判官びいき】なのだ!

【弁慶石】
・ 高館の御所から見渡し、馬淵川の東の野原を京ヶ原と命名
・ 京ヶ原の北の州先を京ヶ崎とした
・ 京ヶ崎が現在の【三八城山】
・ 石のところどころに人間の大きな足型のくぼみがある
・ この窪みは、力自慢で義経の配下だった【武蔵坊弁慶】が岩にしるした足型だとか

今までいくつかの義経伝説の地を訪れてきたが、初めて有名武将の名前が出てきた。
義経四天王(10人以上いる)の名前が出てきてほしいが、無理だろうなぁ…。

御祭日

8月6日  : 例祭

御祭神

・ 天照大御神
・ 南部三郎光行命
・ 南部左衛門佐直房命
・ 新羅三郎義光命

神格・御利益

【天照大御神】
・ あまてらすおおみかみ
・ 天皇家の祖神であり、日本人の総氏神
・ 禊を行った伊邪那岐の左目から生まれた
・ 天の国『高天原』を治め、稲作文化を伝えたとされる
・ 歴史上はじめての【ひきこもり】を体現した神様。間違っても【ひきこもり神】ではない
・ 別称として『お伊勢さま』
《神格》
太陽神、高天原主神、高祖神、総氏神、幡織神、農業神
《御利益》
開運隆盛、勝運、健康祈願、子孫繁栄、合格、出世、五穀豊穣、国土安泰、国家安泰

【南部三郎光行命】
・ なんぶみつゆき
・ 平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての武将
・ 南部氏の始祖
・ 甲斐源氏の流れを汲む
・ 家紋は割菱紋(よつわりびし)

【南部左衛門佐直房命】
・ なんぶなおふさ
・ 江戸時代前期の大名
・ 【中里直好】から、八戸藩立藩後に【南部直房】に改名している
・ 陸奥国八戸藩の初代藩主
・ 盛岡藩初代藩主である南部利直の七男
・ 盛岡藩二代目藩主は兄の南部重直。兄の死後に盛岡藩南部家が御家断絶・領地没収の可能性が濃くなった。重直の異母弟の七戸重信と中里直好が江戸に登り裁定を受ける
・ 盛岡藩→七戸重信。八戸藩(立藩)⇒中里直好
・ 死因は逆恨みした盛岡藩の陰謀とされる説がある
・ 直々に幕府の調査が入っている。『八戸藩は分家ではない。独立した対等の立場』という表明を盛岡藩が出している
・ 八戸藩は長男の南部直政が継いでいる。因みに直政の死因も盛岡藩による暗殺と言われている

【新羅三郎義光】
・ しんらさぶろうよしみつ
・ 源義光のこと
・ 平安時代更衣の武将
・ 河内源氏の棟梁である源頼義の三男
・ 甲斐源氏初代当主
・ 弓馬術に長けている
・ 古武道である大東流合気柔術の開祖は義光としている
・ 流鏑馬に代表される弓馬軍礼故実の弓術・馬術・礼法の流派である小笠原流や武田流は、古来からの武家の心と形を現在に伝えている
・ 彼を祭神とする神社は八戸市内にはいくつか点在している

境内の様子

【鳥居】
・ 俗世と神域を隔てる、神社でいうところの玄関のような役割を持つが…
・ 探しても発見することできず。多分どこかにはあるのだろうか?
・ 摂社の稲荷神社の鳥居は一応確認はできる
・ 歴史ある神社だけに残念

【参道】
・ 木々が生い茂っている
・ 一応手入れはされているが…
・ 紅葉の時期は綺麗だと聞いたことはある
・ 公園同様にこちらも整備されることを切に願う

【石灯籠】
・ 大きく立派な燈籠
・ 木々で隠れることなく堂々としている

【手水舎】
・ 植物のような彫刻が施されている
・ 唐破風の屋根
・ 屋根と水が入るであろう場所には枯れ葉が積もっている

【弁慶石】
・ 先述した石
・ 説明文が掛かれた看板も木々に埋もれかけている
・ 自然と出来た石なのだが、人工物のように感じられる不思議

【摂社近くに鎮座する狛犬】
髪・眉 : 前髪がカールしているが、太い眉らしき毛が見える
口・歯 : 大きく開けた口。歯並びは良い。四角い歯と、上下に計4本の牙がある。舌もある
髯   : 立派なあごひげ
耳   : 伏せ耳。斜め後ろに伸びている
目・鼻 : 頑駄無のような見た目の眼と、中心に瞳がある。鼻は大きく目立つ獅子鼻
毛・尾 : 毛並みはゴワゴワしたような太めの毛並み。手足の後ろにも毛がのびている。尾は立ち尾
手足  : 筋骨隆々の太い手足
姿勢  : 胸を張り、背をピンと伸ばしたお座り姿勢
・ 木々により全貌が見えないのが残念
・ なかなか見ない毛並みをしている
・ 小顔

【社殿前の狛犬】
髪・眉 : 前髪カールして眉が隠れている
口・歯 : 唇がある。口腔内に舌がある。丸い普通の歯が並び、牙が見える
髯   : 顎髭の他に、口周りにも髯がある
耳   : 完全なる伏せ耳。シーズーのよう
目・鼻 : 丸い目と瞳。鼻はよく目立つ大きな獅子鼻
毛・尾 : 体に張り付くような毛並み。尾は流れたボリュームのある毛量の尻尾
手足  : 立派な爪で、がっしりと大地を踏みしめている
姿勢  : 姿勢よくお座り。参拝者の方をじっと見るように、首を向けている
・ 狛犬らしい狛犬
・ 睨んでいるような威嚇したような表情だが、先の狛犬に比べると可愛く感じてしまう
・ 先述の狛犬よりも小柄

【社殿】
階層   : 平屋建て
材質   : 木造
建築様式 : 平入
屋根の特徴: 入母屋造。上部に正面千鳥破風。その下に唐破風
屋根の材質: 桟瓦葺(さんかわらぶき)
宮彫り  : 南部藩の家紋である向い鶴
木鼻   : 円を描くような植物の蔓
・ 境内は木々に囲まれ、どこか暗い感じがしたが、社殿まわりは開けている
・ それまでの暗い雰囲気はなく、明るく感じられる
・ 大体100年程前の社殿。柱や屋根の色が歴史を感じさせる
・ 社殿の壊れているような箇所は見られず
・ 長い時間八戸を見てきたような、おがみ神社とはまた違った風格を見せてくださる
・ 木々の中に浮かび上がるように建っている。現在は青々とした樹々だが、これが秋に紅に染まると…

【摂社・末社】
・ 社殿近くにある
・ 稲荷神社
・ 鳥居のタイプは明神系鳥居の発展形の台輪鳥居
・ 稲荷神社だが、両脇に鎮座するのは狛犬
・ 小さく、参拝者を見上げる用で可愛い
・ 社殿の狛犬は大型・中型犬。こちらは小型犬

御朱印について

あり。
社殿近くの社務所でいただける。境内で仕事をしていても声を掛けると快く応じてくださる。
初穂料300円。

まとめ・感想

龗神社の近くにあり、八戸市役所・八戸公会堂のすぐ隣に鎮座されるのが当神社。町野への中心街近くのため、アクセスがしやすい場所にある。


アクセスがしやすい場所に鎮座されているにも拘らず、参拝者が少なく感じてしまうのは、生い茂った木々に阻まれているからだろうか?100年ほど前の社殿を現在に残す貴重な建物だが、草木に覆われており新参者を寄せ付けないように感じてしまう。
今回の参拝時は青々と生い茂っていた木々も、季節が変われば紅に染まるとのこと。多分綺麗なのだろうが、ここまで生繁っていると、近くまで来ても中々に悩ましい場所である。
都会(?)の喧騒から離れ、ゆっくりとできるのは魅力の一つかもしれない。
もしも参拝する場合は、近くの龗神社にも足を運ぶのをお勧めする。

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