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【弘前東照宮】青森県黒石市・黒石神社摂社

御由緒・歴史

 徳川家康公薨去の翌年元和3年(1617)の春、津軽北門鎮護のために弘前藩二代目藩主津軽信牧公は徳川二代目将軍秀忠公の許しを得て、弘前城本丸に家康公を祀る東照宮を創建した。
この創建は全国に先駆けての建立となる。
寛永元年(1624)に、城外東方門の方角にあたる土渕川沿いに新たに社殿を建立する。これ以降の平成の御世に至るまで、弘前東照宮として脈々と庶民の信仰を集めてきた。
しかし、平成25年(2013)3月に、とある理由から弘前東照宮は解散せざるを得なくなった。
 これを受けて御祭神徳川家康命を新たな場所に安じ奉るために、黒石神社の神域に新宮を建立する。
このときに家康公の養女であり、信牧公の正室でもある満天姫も御祭神として祀られることとなる。
黒石神社の摂社として東照宮は建立された。黒石神社の御祭神は津軽信英公であることから、満天姫の義父である徳川家康公と満天姫の子供である津軽信英公が同じ敷地内に祀られることとなった。
奇しくもこれにより、徳川家康公・満天姫・津軽信英公といった父子三代の御霊が、同じ敷地内に祀られることとなった。
                          ※(参拝のしおり参考させていただきました)

弘前東照宮の解散とは?

 弘前東照宮は解散されたことにより、元々神社があった場所には、本殿のみが残されている状態。
この本殿は5年の創祀当時のもので、華麗・華美が特徴的な東照宮においては、素木造で彫刻や金具を使用しない簡素な造りとなっている。しかし細部にまで及ぶ彫刻・身舎の構造は安土・桃山時代の建築技術が使用されている。
青森県内の中においても神社建築は屈指のものとなっており、昭和28年に国の重要文化財に指定されているほどである。
これほどの歴史的建造物であるにもかかわらず、本殿の実が残されるに至った経緯とは?言葉は濁されているが、『故あっての解散』とはなんなのか?

調べたところ弘前東照宮は、平成の時代に境内で運営していた結婚式場での過大なる投資などが原因により経営難に陥っていた。
平成19年には営業停止処分。
平成20年には本殿を覗く、敷地内のものを競売にかけて資金繰りに奔走していたが、平成24年に遂に破産手続きが決定となってしまった。
本殿も競売にかけられる運命にあったが、平成27年に国の重要文化財ということもあり、弘前市が権利を取得している。政教分離の理由から御霊は黒石神社へと移され、御由緒・歴史の様に祀られたとのことだった。

この神社の破産は全国でも2番目のことだが、1番目の神社は破産から再建されている。
弘前東照宮もと思い、1番目の神社のことを調べた。それにより「弘前東照宮は無理だな」と思った。1番目は新たな運営先により再建されたが、弘前東照宮は新たな運営先さえも見つからず、本殿以外は何も残っていない。
流石の家康公の神力でも再建は無理だろう。

御祭神

主祭神 : 徳川家康命
相殿神 : 津軽満天姫命

御朱印の有無

東照宮の御朱印有り。
黒石神社の社務所にていただける。

黒石神社 摂社・東照宮の雰囲気

 境内の雰囲気は黒石神社の摂社と言うことで厳かな空気は感じられる。
後世の不始末により、本来の社殿から移されてしまった家康公の無念は幾許かはあったと思う。
しかし家康公にとっては移ってしまったことにより、自身の娘と孫と一緒の鎮められたことは、どこか奇妙ではあるが面白い運命を感じずにはいられない。

 面白いといえば満天姫と津軽家は歴史的にも面白いものがある。
信牧の正室は満天姫ではあるが、関ヶ原合戦が始まる前は石田三成の娘である辰姫が正室だった。関ヶ原の後に三成処刑、辰姫は高台院の養女だったが、徳川家を憚り津軽家を守るため・残すためにも、家康の養女である満天姫を正室へと招く。これにより江戸幕府体制下での津軽家は地位を固めた。
辰姫はその後降格し側室へ…。
しかし歴史とは面白いもので、津軽家三代藩主の津軽信義となり、その後も女系の子孫が今日にも続いている。
満天姫のことは書籍にもなっている。
所謂女たちの関ヶ原とも言われるような作品は、商社歯医者の目線ではなく、国元に残された妻子たちの歴史でもある。別の視点での歴史は面白く、その時代の地方の文化なども伝えられている。
王道の歴史小説も良いが、こういったものも面白いのでお勧めしたい。

………神社の雰囲気からだいぶ逸れてしまった。
参拝時はそこに居られる、太平の世を築いた家康公・黒石藩の礎を作った信英公・津軽藩の安寧ために自身の子供にさえ手を下した満天姫、この三公の力強い息吹を感じられる気がする場所だった。

住所

黒石神社 : 青森県黒石市市ノ町18

本殿のみが残されている弘前東照宮
弘前東照宮: 青森県弘前市笹森町
 ※近くに薬王院があるため、そこを目指すと脇道があり、そこをさらに進むと本殿のみが見えてくる。

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