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本覚寺/太宰治も訪れた寺院

立派な大仏様の台座部分に入ることができる。入るとありがたい(?)光景が…。楽しくて3周してました。境内にいた関係者の暖かい眼差しもありましたが、何も感じなくなりました。

基本情報

寺院名  : 本覚寺
宗派   : 浄土宗
山号   ; 始覚山
正式名称 : 始覚山本覚寺
住所   : 青森県東津軽郡今別町今別今別119

御朱印  : あり・津軽八十八ヶ所霊場第16番札所
駐車場  : あり
開山   : 羽州湯殿山大日坊別当
開山年  : 慶安4年(1651)
御本尊  : 阿明暦弥陀仏如来
県重宝  : 青銅塔婆
その他  : ハイテク大佛あり

歴史

法龍山延命寺吉祥院の導坊を建てたとされることを起源とする。
承応2年(1653)に武蔵国より、浄土宗白旗派の僧・安長が下向しその跡を継ぐ。明暦3年(1657)に名越派本山たる磐城の専称寺より社号を授かる。
爾来、享保には貞傅・完成には愍榮の中興を輩出し布教。あるいは地方産業に貢献した徳望遠近に触れることとなり、今日に至る。
明和の大地震(1771)に本堂・庫裏が半壊。聖堂塔婆も倒れたと記されたほどである。数回の補修し凌ぐも、明治21年の大改修して今に至る。
庫裏は明治30年代に旧一本木村大泊の網元・木村家宅を移築したもの。
青森を代表する文豪・太宰治の小説【津軽】の舞台の一つ。

太宰治と本覚寺

太宰治の【津軽】の『三 外ヶ浜』の中に本覚寺さんが記載されている。
※新潮文庫の【津軽】参照

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【津軽】は太宰が故郷の津軽地方を旅した紀行文的な小説。本文中には当時の太宰と、その友人たちとの会話も記述されており、彼らの交流を肌に感じることができる変わった作品。
本文中に現在の津軽地方からは考えられない記述がある。『津軽凶作年表』なる不穏な言葉が出てくる。
現在の津軽地方は米どころだが、豊臣滅亡~昭和15年までの300年以上もの長い間ほとんどが『凶作・大凶作』ということ。津軽藩の歴史は凶作との戦いともいえることがわかる。
作中には他にも『源義経が高館を逃れ蝦夷地へ』といった記述もある。太宰もその伝承を口にしていたと思うと、感慨深いものがある。
【津軽】の中の【本覚寺】に戻ってみよう。
『津軽 第三章、外ヶ浜 102ページ~』に当寺院の記述が出てくる。
《作中での本覚寺》
・ 今別には本覚寺と呼ばれる有名な寺がある
・ 「今別へきて本覚寺を見なくちゃ恥です」とのこと
・ 太宰の失礼な一言もある。「たいしたお寺でもないじゃないか」
・ 本覚寺で歴史等を聞いた後、3時間ほど歩いて三厩まで歩いたとのこと。スゲー

御本尊について

《阿弥陀如来》
・ あみだにょらい
・ 妙観察者を持つ
・ 存在を正しくとらえ、仏教の実践を支える智
・ 大乗仏教の如来の一つ
・ 西方極楽浄土の教主
・ 両手でOKサインの形をしている
・ 勢至菩薩と観音菩薩が左右に
・ 二十五菩薩を従える
・ 浄土教系の仏教において【南無阿弥陀仏】という称名念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰を説く
・ 日本では【南無阿弥陀仏】を唱えると悪人でも往生すると説く
・ インドでは【阿弥陀仏】の姿を想像すると極悪人以外なら往生すると説く
・ 『延命』や『愛』の如来
・ 鎌倉の大仏様も阿弥陀如来像
・ あみだくじの語源となっている

あみだくじ

・ 阿弥陀如来が語源
・ 室町時代に作られたが、現在の物とは形態が違う
・ 元々は博打の道具
・ 蜘蛛の巣の様になっている。現在の縦線が、放射線状に引かれていた
・ 阿弥陀如来の後ろに広がる放射線状のモノ。光背(こうはい)という
・ 『後光が差す』と言われるアレを具現化したものが『あみだくじ』になっていく
・ 因みに英語で書くと『ladder lottery 』となる。『梯子の宝くじ』と

・ 左が室町時代に作られた阿弥陀籤の一例
・ 右が現在使われているあみだくじ

境内の様子

【山門】
・ 四脚門
・ 切妻造の屋根
・ 山号・寺院名・宗派が掲げられている
・ 貫の彫刻は花。蓮かな
・ 左右に仁王様はいないため、随身門ではない
・ 扉に『龍』と『虎』の彫刻が施されている
・ 屋根や金具が緑色に錆びかかっているが、古臭さは感じられない

【狛犬】
髪・眉 : 多分髪はあると思われる。後ろにカールしている。前髪はカール?眉っぽいものは某漫画作品のおまわりさんの様に、繋がった立派なものが存在している
口・歯 : 赤い口腔と唇有り。丸い白い歯と、あまり尖っていない4本の牙有り
髯   : 顎髭や口周りにカールした髯有り
耳   : 完全に伏せた耳
目・鼻 : 大きな獅子鼻。目はにらみつけるようなもの。白目と真っ黒い瞳が存在している
毛・尾 : 高くそびえるような立ち尾。毛並みは所々にカールしたものが目立つ
手足  : 手足は筋骨隆々で太く立派。爪もがっしり
・ 迫力のある存在感
・ 唖形の足元には毬。吽形の足元には子犬
・ 御堂前の参拝者を睨むように並んでいる
・ 形状や造形から始めてみるもの

【南無地蔵菩薩】
・ 狛犬とお堂の隣にある鐘楼の真後ろにあり
・ 水子供養のお地蔵様か?
・ 優しそうな表情と佇まい
・ 『目には仏像佛画を拝み 心には佛を念じ 口に歯南無阿弥陀仏』

【鐘楼】
・ 屋根は山門同様の緑が掛かった色だが、建物自体は朱色
・ 山門などに比べると新しいような雰囲気

【今別大佛】
・ 元々は明治41年に大仏殿が作られたが、昭和29年に焼失している
・ 昭和49年に青銅の大仏様が再興された
・ 青森市にある青龍寺の大仏様同様に、台座の下に入ることができる
・ 大阿弥陀如来
・ 中には金色の阿弥陀如来像が出迎えてくださる
・ 御賽銭を喜捨すると、自動で鐘が鳴り響き、荘厳で有難いことが起きる
・ 仏像の後背が光り輝き後光が差し、左右の菩薩やお供え物も輝きを増していく
・ そしてどこからともなく『チーン』という鐘の音色も響かせてくださる
・ 筆者はとりあえず3周していた

【手水舎】
・ 建物はなく、裸状態の石と龍神様
・ 手水舎のはずなのだが、周りに自動で水を撒くシステムになっている
・ 手を浄める際は他の部位も浄められることに注意が必要

【青銅塔婆】
・ 県重宝
・ 享保12年(1727)に、貞伝上人が建立した青銅製の念仏名号塔
・ 頂上に宝珠形が飾られている
・ 【南無阿弥陀仏】の名号が刻まれている
・ 左右にお地蔵様…
・ 大きさもあるが、鋳造技術も優れている
・ 類例が少ないため、文化史的な価値も高い
・ 3m近い大きさにも拘らず、明和の大地震(1771)の際には倒れたとの記述がある
・ その時に壊れなくてよかったと思う反面、凄い規模の地震だったのでは?と思えてしまう

【庫裡】
・ こちらで御朱印をいただける
・ なんでも燕が巣をつくっているとのこと
・ 昔ながらの柱の組み方で、天井が高いがあたたかい
・ 木のぬくもり?

【ご本殿】
・ 縁が無く内部を見ることは叶わなかった
・ 向唐破風。庇のような役割
・ 兎毛通は『鳳凰』か?信州に多い意匠とのこと
・ 妻入りの入母屋造
・ 木鼻にはギョロっとした目つきの獅子
・ 宮彫りにも龍神様
・ 海の近くにあるためか、龍神様の意匠が至る所に目立つ

御朱印について

あり。
津軽八十八ヶ所霊場の御朱印。
津軽三十三観音巡り第20番所の高野山観音堂・同じく第21番所②の鬼泊巌屋観音堂の御朱印も頂ける。

まとめ・感想

御本堂内の見学は某感染症がまだはびこっていた時期だったため見学不可とのこと。残念ではあるが仕方がない。
しかし今別大佛内部と県重宝の青銅塔婆を見ることができ、こちらに立ち寄った甲斐があっただろう。
こちらの寺院は歴史も古く、太宰の『津軽』に出るなど、由緒正しき場所なのだが、光る仏像や青銅塔婆、スプリンクラーのように水を撒く龍神様御鎮座手水舎というように、遊び心(?)を感じられる場所になっている。筆者は歴史好きだが、こういう歴史と文化財を護りつつの場所は好きだ。
境内をいろいろと散策すると、文化財などの他にも、親の狛犬の脚にしがみ付く・じゃれているように見える狛犬や、ハイテク大佛の周りにいる小さななお地蔵様たちなど、目を引く場所は多々ある。また、時期が合えば燕も見ることができるかも、とは寺院関係者の談だった。

此方の寺院は津軽八十八ヶ所霊場の場所にも拘らず、津軽三十三観音霊場の2か所の御朱印も扱ってくださる。道中に両方の霊場(一つは遠いけど)があるので、参拝後に訪れるのが良いかと思われる。 ここから少し足を運ぶと津軽海峡冬景色の歌碑・義経北行伝説の地の竜飛崎・三厩村の由来となった巨石と義経堂・日本唯一の階段国道などに行きつく。 これらの見学をしてもよろしいかと思う。交通の便も良いとは言いにくいからね!

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